中西重忠
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中西重忠 | |
|---|---|
![]() 文化勲章受章に際して 公表された肖像写真 | |
| 生誕 |
1942年1月7日(84歳) |
| 国籍 |
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| 研究分野 | 分子生物学, 神経科学 |
| 研究機関 |
アメリカ国立衛生研究所 京都大学 |
| 出身校 | 京都大学 |
| 博士課程指導教員 | 早石修 |
| 主な指導学生 |
笹井芳樹 垣塚彰 |
| 主な受賞歴 |
慶應医学賞(1996) グルーバー賞神経科学部門(2007) |
| プロジェクト:人物伝 | |
中西 重忠(なかにし しげただ、1942年1月7日 - )は、日本の生化学者、分子神経科学者。京都大学名誉教授、大阪バイオサイエンス研究所所長。Gタンパク質共役受容体に関する世界的権威として知られる。岐阜県大垣市出身。2015年文化勲章受章。
沼正作と共に、多ホルモン前駆体の構造、遺伝子、進化に関する研究を発表して有名となり、「記憶のもと」と考えられるタンパク質のNMDA型グルタミン酸受容体の構造を世界で初めて解明した。
- 本庶佑との関係
京都大学医学部の同期である本庶佑とは、学生時代からの親友であり、互いに切磋琢磨するライバル関係にある。2015年に中西が文化勲章を受章した際のインタビューでは、本庶について「学生時代、自分はあまり勉強しなかったが、中西君は非常に熱心に実験をしていた」という本庶側の回想に対し、中西は「お互いに『勉強は好きじゃない』と言い合いながら、自由な校風の中で自由にやらせてもらった」と語っている[1]。
- 高校時代
岐阜県立大垣北高等学校時代は、朝はソフトボールに汗を流し、土曜日の午後は化学教室を借りて友人と実験を楽しむなど、文武両道な学生生活を送っていた。この時期の自由な実験経験が、後の研究者としての原点になったと回想している[2]。
- 研究哲学
「新しいことをやるには、新しい方法を作らなければならない」という信念を持ち、アフリカツメガエルの卵母細胞を用いた機能的クローニング法を開発した。この独創的な手法が、当時困難とされていたグルタミン酸受容体の構造解明につながった[3]。また、門下生に対しては「他人の真似ではなく、常に新しい領域に挑戦すること」を説き、自らも神経科学の未踏分野を切り拓き続けた[4]。
経歴
- 1960年 岐阜県立大垣北高等学校卒業
- 1966年 京都大学医学部卒業(本庶佑と同期)
- 1971年 京都大学大学院医学研究科博士課程修了(医化学、酵素) (指導者:橘正道、沼正作、野崎光洋、西塚泰美)
- 1971~1974年 アメリカ国立衛生研究所(NIH)(指導教官アイラ・パスタン博士)、癌研究所(NCI)、分子生物学教室 客員研究員
- 1974年 京都大学 医学部 医化学教室 助教授、医学博士(京都大学)取得
- 渡米し、スタンフォード大学スタンリー・コーエン博士と共同研究
- 1981年 京都大学 医学部 免疫研究施設 第二部門 教授
- 1995年~2005年 京都大学大学院 医学研究科生体情報科学講座教授、生命科学研究科認知情報学講座教授(兼務)
- 2000年~2002年 京都大学大学院 医学研究科科長・医学部長
- 2005年 退官、京都大学名誉教授
- 2005年~2015年 財団法人大阪バイオサイエンス研究所所長[6]
- 2015年~2022年 公益財団法人サントリー生命科学財団 生物有機科学研究所 所長[7]
