中邨秀雄
From Wikipedia, the free encyclopedia
現在の大阪市中央区出身。大阪府立生野高等学校卒。関西学院大学文学部卒業。大学時代はラグビー選手として活躍。
1955年5月、吉本興業に入社し、駆け出し時代は人気漫才師の花菱アチャコ、大村崑などのマネージャーを務めた。
うめだ花月劇場の開館、吉本新喜劇の立ち上げに尽力し、人気テレビ番組「ヤングおー!おー!」をプロデュース。所属タレントを積極的にテレビに出演させる戦略が実を結び、「お笑いの吉本」の地位を不動にした。その後、制作部長・常務・専務・副社長を歴任。
1991年4月、会長だった林正之助の死去に伴い、代表取締役社長に就任、東京進出の旗振り役となり、関西ローカルだった吉本を「全国区」に押し上げた。
1999年に会長、2003年に名誉会長となる。2004年6月30日に一身上の都合から退任し吉本を退社。以降はフリープロデューサーとして活動していた。2015年7月3日、肺炎のために死去[2]。近親者にて葬儀を行った後、1ヶ月後の8月1日に死去が公表された。82歳没。