中郡二十六カ町村組合立奈珂中学校
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中郡二十六カ町村組合立奈珂中学校(なかぐんにじゅうろっかちょうそんくみあいりつなかちゅうがっこう)または金目村外二十六カ町村組合立奈珂中学校は、神奈川県中郡大根村(秦野市)にあった公立旧制中学校であり、中郡六カ町村組合立育英学校の後身、神奈川県立秦野高等学校の前身である。
略歴
私立育英学校の郡制廃止と関東大震災による経営困難に対処するため、1924年(大正13年)4月に大根村、土沢村、金目村、旭村、金田村、秦野町の六か町村による中郡六カ町村組合立育英学校を創立し、同年12月に組合への参加町村増加により中郡二十六カ町村組合立育英学校へ改称した。町村組合は1925年(大正14年)5月16日に認可され、事務を開始した。この組合設立の目的は中郡北部に5年制中学校を設立することであったため、1926年(大正15年)3月4日、「奈珂中学校設立認可」が下り、同年4月、本校が大根村大根小学校講堂を仮校舎として開校し、育英学校は発展的解消となった。
同年9月6日、大根村より無償で提供された校地に新校舎が竣工し、本校は同村下大槻広畑に移転した。1929年(昭和4年)、校名を神奈川県奈珂中学校と改称した。1930年(昭和5年)頃から経営が困難となり、1932年(昭和7年)11月の大暴風雨はこれに拍車をかけた。このような中、同年中に本校を県立に移管することが学校組合会で決議され、県へ「神奈川県奈珂中学校移管願」が提出された。そして1935年(昭和10年)4月より本校を県へ移管することが条件付で決定されたが、県への移管条件の一つ県立盲唖学校寄宿舎建設費として15,000円を中郡盲人学校設立者が負担することの充足が問題となった。この条件を充足させるため、平塚市が6,500円を分担することに同市議会が反対したのだった。これにより4月の県への移管は延期となった。県への移管は同年11月1日になされ、これを以て神奈川県立秦野中学校が創立された[1]。