中野佐資

From Wikipedia, the free encyclopedia

国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1963-01-07) 1963年1月7日(63歳)
身長
体重
169 cm
75 kg
中野 佐資
エイジェック高等学院男子硬式野球部 監督
現役引退後
(2003年 静岡草薙球場での巨人対阪神OB戦にて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 栃木県栃木市
生年月日 (1963-01-07) 1963年1月7日(63歳)
身長
体重
169 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1985年 ドラフト2位
初出場 1986年9月3日
最終出場 1993年7月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴

中野 佐資(なかの さとる、1963年1月7日 - )は、栃木県栃木市出身の元プロ野球選手外野手、左投左打)、野球指導者。

国学院栃木高校ではエースとして2年秋の県大会で優勝したが関東大会は初戦となる準々決勝で東農大二高高仁秀治と投げ合って敗退。三菱重工横浜入社当時は投手。のちに肩を壊した影響で野手に転向し[1]、主に一塁・右翼を守る。

1984年都市対抗三菱自動車川崎の補強選手として出場。2試合連続本塁打を放つが、準々決勝で日本楽器に敗退。

1985年第13回アジア野球選手権大会日本代表に選出され、同年の都市対抗でも日本石油に補強され活躍。

同年のドラフト会議で、阪神から2位指名を受け外野手として入団。

1988年、同年より就任した村山実監督から「(入団当初から付けていた)13は投手の背番号だ」と言われた[2]ことで阪神タイガースでは初めて背番号0を背負い、また大野久和田豊の三人で少年隊と呼ばれた。同年から佐野仙好に代り左翼手の定位置を獲得する。4月14日の甲子園球場『阪神対巨人』戦で桑田真澄から勝ち越し打を放った[3]

1989年には17死球でセ・リーグ最多死球を記録した。

1992年には外野手に転向した八木裕や同年台頭した新庄剛志にレギュラーを譲ったことで出場機会が減少。

1993年限りで自らの意思で引退[2]

2002年より、社会人野球クラブチームガッツ全栃木野球クラブの選手兼監督も務めていたが、現在は退任。

2005年プロ野球マスターズリーグのセレクションに合格。大阪ロマンズに所属。

2006年、東京ドリームスに移籍した。2006-2007シーズン ベストナインとファインプレー賞を受賞。

スポーツデポ沼津店、北本店勤務を経て、2019年よりベルモール宇都宮店勤務、野球アドバイザーをする傍ら少年野球の指導も行っている[4][2]。2011年8月刊行のベースボールマガジン社「熱中!野球部 Vol.6(ヒットエンドラン9月号増刊)」の記事「元プロが教えるグラブのお手入れ法」を監修。

2026年4月1日に開校し、同月に日本高等学校野球連盟から加盟の承認がなされたエイジェック高等学院男子硬式野球部の監督に就任する事が24日に発表された[5]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1986 阪神 3220000000000000010.000.000.000.000
1987 7881100010000000010.125.125.125.250
1988 108300274356513641022533411229492.237.291.372.663
1989 12433028741771651113641958216017405.268.342.474.815
1990 962051762746323621166112106284.261.358.352.710
1991 114265229324811188518635119011470.210.300.371.671
1992 72635212101021760200912161.192.333.327.660
1993 5330100011000000000.333.333.333.667
通算:8年 5291176103114824844142840410224191857734518212.241.320.392.711
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

背番号

  • 13 (1986年 - 1987年)
  • 0 (1988年 - 1993年)

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI