丸山名政

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丸山 名政[1](まるやま なまさ、1857年11月11日安政4年9月25日[2] - 1922年大正11年)11月21日[3])は、日本の政治家(衆議院議員)、実業家。族籍は東京府士族[2]

信州須坂藩士・丸山本政の長男[2]1874年(明治7年)に上京[1]。講法学舎を経て、明治法律学校(現・明治大学)に入学[4]内務省地理局勤務を経て、自由民権運動に入り、嚶鳴社員として立憲改進党結成に参画。東京横浜毎日新聞記者、下野新聞主筆などを務めた後、1885年(明治18年)に代言人となる。

国会開設後は、第2回第8回衆議院議員総選挙に当選[3]。その他、東京市会議員、同参事会員、東京府会議員も務め[3]1899年(明治32年)に明治法律学校校友となる[4]

実業家として、日本証券社長、松本瓦斯取締役、東京土地監査役[5] など多くの会社の経営に参画。1903年(明治36年)から1905年(明治38年)には東京市助役も務めた。

1921年(大正10年)、東京市政疑獄(砂利疑獄)で公判に付されるが、病のため審理中止となった[6]

家族・親族

脚注

参考文献

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