丸島隆雄
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1962年、神奈川県平塚市で生まれる[1]。東海大学文学部史学科日本史専攻を卒業[1]。
1987年の論文「近世前期相模と中原代官」は、中原代官を中心に相模国(神奈川県)の幕僚支配について整理したものであり、村上直らから「興味深い好論」と評価された[2]。また、続く1988年には中原代官に加えて小田原藩との関係を問う「中原代官と小田原藩」を発表し、「興味深い事実が明らかにされている」と評価された[3]。このほかにも平塚を中心とする神奈川県の歴史について研究しており、平塚を拠点に活動した平安時代の武将・佐奈田義忠に関する「真田与一の奮戦––忘れられた源平合戦の名場面」[4]や、慶安の変(由井正雪の乱)の際の煤ヶ谷村での出来事を研究した「相模国中郡煤ヶ谷村における由井正雪一党搦取の一件」[5]などの論稿がある。このうち、「相模国中郡煤ヶ谷村における由井正雪一党搦取の一件」は歴史専門出版社の新人物往来社が主催する第22回郷土史研究賞で最高賞の特賞を受賞した[6][1]。平塚人物史研究会所属[7]。郷土出版社の『図説平塚の歴史』[8]でも執筆に参加している。
また、郷土史研究のかたわら、趣味の柔道の歴史についても研究している。1987年、『格闘技通信』誌の格闘技ライター公募に応募し、誌上で採用が応募作品「前田光世とシュート柔道」とともに発表される[9]。翌号から7号にわたる連載「明治の柔道家・前田光世ー過激なる異種格闘の生涯」が始まる。連載の最終回では当時は日本では無名だったブラジリアン柔術のエリオ・グレイシーを紹介する[10]。
著書には『前田光世––世界柔道武者修業』[11]、『講道館柔道対プロレス初対決 大正十年・サンテル事件』[12]がある。後者に関しては、格闘技評論家の斎藤文彦がサンテル事件の一部始終をくわしく描いた研究書として紹介しており、斎藤からは「大正から昭和初期にかけての文献がていねいにリサーチされていて資料的価値はひじょうに高い」と評価されている[13]。書評家の吉田豪は、講道館対サンテル一派の八百長の可能性も言及してるのは評価できるが、異種格闘技戦でウィレム・ルスカがアントニオ猪木に復数回にわたって退けられたことを根拠に、柔道はあまり格闘技として強くないのでは、と思ったり、猪木がショータ・チョチョシビリに完敗したら、柔道はやはり侮れない、とか言うのはこれらはガチではないのでダメだと批判している[14]。
このほか、紙芝居作りも手掛けており、紙芝居文化推進協議会主催の第16回手づくり紙芝居コンクールで神奈川県立図書館長賞を受賞している[7]。こうした経験を活かし、平塚にゆかりのある歴史や人物を物語仕立てで紹介する活動も行っている[7]。
書籍
- 岩橋喜四郎、鈴木昇、明石新、大槻藤蔵、杉崎俊和、鈴木一男、丸島隆雄『図説 平塚の歴史』 上巻・下巻、今泉義廣(監修)、郷土出版社〈神奈川県の歴史シリーズ〉、1994年7月14日。
- 丸島隆雄『前田光世––世界柔道武者修業』島津書房、1997年11月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/13898316/。
- 丸島隆雄『講道館柔道対プロレス初対決 大正十年・サンテル事件』島津書房、2006年。
脚注
- 1 2 3 丸島隆雄「著者紹介」『講道館柔道対プロレス初対決 大正十年・サンテル事件』島津書房、2006年。
- ↑ 村上直・斉藤司「1987年の歴史学界 回顧と展望 日本 近世2」『史学雑誌』第97巻第5号、史学会、1988年、691頁、doi:10.24471/shigaku.97.5_686。
- ↑ 渡部淳「1988年の歴史学界 回顧と展望 日本 近世3」『史学雑誌』第98巻第5号、史学会、1989年、717-718頁、doi:10.24471/shigaku.98.5_715。
- ↑ 丸島隆雄「真田与一の奮戦––忘れられた源平合戦の名場面」『日本及日本人』第1645巻、日本及日本人社、2002年、110-116頁。
- ↑ 丸島隆雄「相模国中郡煤ヶ谷村における由井正雪一党搦取の一件」『歴史読本』第42巻第3号、新人物往来社、1997年、227-242頁。
- ↑ 中田祝夫「第22回 郷土史研究賞 選評」『歴史読本』第42巻第3号、新人物往来社、1997年、223-226頁。
- 1 2 3 “ゆかりの人物を物語で 平塚”. タウンニュース. 2021年6月8日閲覧。
- ↑ 岩橋喜四郎、鈴木昇、明石新、大槻藤蔵、杉崎俊和、鈴木一男、丸島隆雄『図説 平塚の歴史』 上巻・下巻、今泉義廣(監修)、郷土出版社〈神奈川県の歴史シリーズ〉、1994年7月14日。
- ↑ 丸島隆雄「Corner「格闘技ライター」登場です「レトロと格闘技」前田光世とシュート柔道」『週刊プロレス増刊号「格闘技通信」No.5』第33巻第11号、ベースボール・マガジン社、1987年3月7日、24頁。
- ↑ 丸島隆雄「明治の柔道家・前田光世ー華麗なる異種格闘の生涯(最終回)」『格闘技通信』第2巻第12号、ベースボール・マガジン社、1987年11月1日、64頁。「エリオ・グラッシー」
- ↑ 丸島隆雄『前田光世––世界柔道武者修業』島津書房、1997年11月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/13898316/。
- ↑ 丸島隆雄『講道館柔道対プロレス初対決 大正十年・サンテル事件』島津書房、2006年。
- ↑ フミ斎藤 (2015年10月1日). “日本初の異種格闘技戦! 大正10年のプロレス対柔道、アド・サンテル事件の裏には破門覚悟の若者たちがいた”. 2021年6月8日閲覧。
- ↑ 「講道館対サンテル一派の八百長の可能性も言及 でも「柔道は格闘技としてあまり強くないのでは」って? 『講道館柔道対プロレス初対決-大正十年・サンテル事件』丸島隆雄/島津書房/1900円+税」『書評の星座 吉田豪の格闘技本メッタ斬り2005-2019』集英社(発売)(第1刷)、ホーム社、2020年2月29日、129頁。ISBN 978-4834253368。
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