久世商店街
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歴史
町並みの起こりは、1623年(元和9年)頃と言われている。その時期に、豪商の塚谷屋元祖が久世に定着。さらに別の地域で牛市の世話をしていた後安家が久世へ移り住んだことにより、牛市の賑わいを基盤とした町並みが形成された[4]。上町を中心に博労問屋が増え、南中屋・玉屋・久世屋・大庭屋・引込屋・かじ屋・はが屋・本玉屋という8軒の博労問屋があり、博労が往来した[5]。公認市場となり、西日本の各地が多くの売り手、買い手が集まり、最盛期には西日本最大規模の3万頭の売買が行われている[4]。春と秋には大市が開かれ、春市は6月上旬の10日間、秋市は11月20日から12月15日までの26日間も行われた[6]。博労は買い付けた牛や馬をひき、「久世を夜に出て、目木乢を越えて、坪井鶴坂唄で越す」と牛追い唄を唄ったという[6]。
旧出雲街道、大山みちの交わるところの近くであり、高瀬舟が往来する旭川の久世河岸がすぐ裏手だったことから、宿場町、市場町、河岸町、陣屋町として、江戸時代にはすでに常設店舗群が形成されていた。元禄年間には、約500メートルの町筋が完成していた。
1934年(昭和9年)の室戸台風では久世地区の上流で、旭川が決壊。商店街が冠水している。しかし1957年(昭和32年)にはアーケードの一部が設置され、「商店街への視察が相次いでいる」と記述がある[7]。1960年(昭和35年)には、中小企業庁長官表彰を受賞。1965年から1971年にかけて、上町・中町・下町における密閉式アーケードを完成させている[8]。