久保之英
From Wikipedia, the free encyclopedia
久保 之英(くぼ ゆきひで[1]、享保15年(1730年) - ?)は、江戸時代後期の薩摩藩城下士。通称は七兵衛。諱は之英。本姓は紀氏。著作に「久保七兵衛紀之英」と本姓と諱を含めて署名しているためか、「久保紀之」「久保紀之英」と表記している図書があるが誤りである。示現流の高弟であり、示現流の術技と歴代宗家高弟の事績を記した「示現流聞書喫緊録」等、著作多数。家格小番。宝暦6年(1756年)の久保七兵衛家の石高は84石。「三州御治世要覧 巻37」によると東郷実昉や大山貞政の親族と思われる大山後角右衛門[2]、山本権兵衛の親族である山本五郎左衛門、奈良原喜左衛門先祖の奈良原助左衛門と同じ4番与小番に所属。
年譜
- 寛延2年;島津重年の参勤交代に同行[5]。
- 宝暦5年(1755年)の島津重豪の襲封し、藩主が幼年のため、翌年薩摩藩にきた国目付の京極高主らに提出された「嶋津家分限帳」(宝暦6年10月改め)では「京都留守役、久保七兵衛、84石、外蔵米75俵」とある。この「久保七兵衛」が之英なのか、その父の之直なのかは、具体的に説明した資料がないので不明。ちなみに「蔵米75俵」は『薩藩政要録』によると妻子養老米とある[6]
- 天明元年(1781年)に「示現流聞書喫緊録」を完成させる。
- 天明5年9月27日;『見聞秘記』完成
- 寛政元年4月8日;『御家法純粋』が全て完成。
- 寛政年間に「示現流聞書喫緊録附録系図」完成。この書には高弟たちの系譜も記されており、示現流の系譜を知る上で大変貴重なものである。