田中傑山の門人となって、太刀流の皆伝を授かり、傑山の死後は種子島權助の門人となって示現流を相伝する。
なお、貞政の太刀流は子の角太郎綱章[3]に相伝される。また貞政の門人に西郷吉兵衛がいたが、この吉兵衛は西郷隆充の父で、西郷隆盛の曾祖父である。
藩主島津重豪が造士館とあわせてのちの演武館を建設すると、貞政は東郷実昉や同じ傑山の弟子である和田源太兵衛助員、師匠の一族である田中喜助とともに剣術師範として指導を命じられる。日割りでは貞政は3日目の師範となっており、貞政の太刀流は藩でも認められていた。なお、日割りによると1日目は東郷藤右衛門(実昉)、2日目は田中喜助となっている。[4]。