久和ひとみ
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東京都武蔵野市出身[1]。東京都立国立高等学校卒業後、一浪して早稲田大学政治経済学部政治学科卒業[1][3][4]。
東京の民放キー局全局を受験したが、すべて不合格だった[1]。大学卒業後、テレビ朝日の『CNNデイウォッチ』初代キャスターとなる[2]。当初、担当期間は3カ月から6カ月と言われていたが、キャスターとしての才能を担当者に見いだされ契約期間を延長。さらに、チャレンジャー号爆発事故の緊急ニュースを担当したことで一躍有名となり、最終的に1989年9月まで5年半担当した。降板後は『モーニングショー』など複数の番組でリポーターを中心に担当。1988年、同局ディレクターの小林雄高と結婚。
それらの経歴を買われ、1989年4月にTBSと専属契約。荒川強啓とともに、ローカルニュース『テレポート6』キャスターとして起用された。番組そのものは荒川と久和の登場後1年で終了し、1990年春に『JNNニュースコープ』と統合されて『JNNニュースの森』となったが、引き続き荒川とメインキャスターを務めた[5]。1996年3月、『JNNニュースの森』との契約期間満了と番組リニューアルを機に降板、同時に夫とも離婚[5]。コロンビア大学に留学し、研究を重ねた。1998年2月に帰国後、政治・経済面に強いキャスターとして、1999年10月にテレビ東京の『TXNニュースアイ』のメインキャスターに起用された。この『ニュースアイ』のタイトルは彼女の名前「ひとみ」(eye)に因んだものである。
2000年10月初頭、体調不良により検査を受けた結果、子宮癌を患っている事が判明。同月20日放送を最後に『ニュースアイ』を休演(事実上降板)し、手術を受けた[2]。11月に退院後も復帰に向けて治療に専念するが、翌2001年2月に入り肝臓への癌転移により病状が悪化。2001年3月1日11時25分、がん転移による急性肝不全で死去[2]。40歳没。法名は釋尼妙聲。訃報は各局で一斉に伝えられ、担当した『TXNニュースアイ』や『JNNニュースの森』ではトップ項目として扱われた。3月4日に小金井市幡随院で執り行われた葬儀告別式では、下村健一、杉尾秀哉らが弔辞を読んだ。墓所は多磨霊園[6]。
一周忌である2002年3月1日、遺産の一部を基金として、マスコミ関係の職務経験がある女性を対象とした奨学金「久和ひとみスカラシップ」が設立された。2004年までに計4人を留学生として送り出し、一旦解散した。2008年に選考委員長を務めていた筑紫哲也が死去したが、筑紫遺族の申し出により香典が寄付され、2009年11月に「久和ひとみ・筑紫哲也スカラシップ」として1人限りの募集を再開している。
人物・エピソード
出演番組
報道番組
| 期間 | 番組名 | 役職 | |
|---|---|---|---|
| 1984年4月 | 1989年9月 | CNNデイウォッチ(テレビ朝日) | キャスター |
| 1989年4月 | 1990年3月 | テレポート6(TBS) | メインキャスター |
| 1990年4月 | 1996年3月 | JNNニュースの森(TBS) | 平日メインキャスター |
| 1999年10月 | 2000年10月23日 | TXNニュースアイ(テレビ東京) | 月~金曜日メインキャスター |
その他のテレビ番組
- テレビドラマ ただいま絶好調! 第22話「アイラブ・ニューヨーク」(1985年、テレビ朝日)
- デザートーク(1987年、日本テレビ)- サブ司会
- 熱闘!スポーツクイズ(1988年4月 - 9月、テレビ東京)- 司会
ラジオ
- ひとみのDENKA HOT DOING(FM横浜)[1]