久我清通
室町時代前期から中期にかけての公卿
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経歴
応永20年(1413年)従三位に叙せられ、公卿に列する。応永25年(1418年)権中納言に昇進した後、応永26年(1419年)正三位、応永27年(1420年)従二位・、応永28年(1421年)権大納言、応永32年(1425年)右近衛大将と順調に昇進を重ね、永享元年(1429年)内大臣となる。この間の応永35年(1428年)には奨学院と淳和院の別当に補せられる。
嘉吉元年(1441年)11月2日、嘉吉の乱で足利義教が殺害された混乱に乗じて、源氏長者の地位を申請して任ぜられ、12月には再び奨学院別当に補せられた。
嘉吉2年(1442年)従一位に昇叙し、享徳元年(1452年)太政大臣に任ぜられる。
享徳2年(1453年)薨去、享年61。没後に足利義政が再び源氏長者に任じられたため、源氏長者の地位は再び足利将軍家に戻った。
官歴
注釈のないものは『公卿補任』による
- 応永2年(1395年) 12月30日:侍従[4]
- 時期不詳:右近衛中将
- 応永20年(1413年) 8月28日:従三位(右中将如元)
- 応永21年(1414年) 3月16日:兼尾張権守
- 応永25年(1418年) 6月2日:権中納言
- 応永26年(1419年) 正月6日:正三位
- 応永27年(1420年) 正月5日:従二位
- 応永28年(1421年) 12月21日:権大納言
- 応永32年(1425年) 正月5日:正二位。正月30日:右近衛大将
- 応永35年/正長元年(1428年) 閏3月18日:奨学院・淳和院別当
- 正長2年/永享元年(1429年) 3月29日:転左近衛大将。8月4日:内大臣(止左大将)
- 永享4年(1432年) 7月25日:辞内大臣
- 永享13年/嘉吉元年(1441年) 11月2日:源氏長者。12月23日:奨学院別当
- 嘉吉2年(1442年) 正月5日:従一位
- 宝徳4年/享徳元年(1452年) 10月8日:太政大臣
- 享徳2年(1453年) 2月某日:辞太政大臣。9月5日:薨去(享年61)
系譜
参考文献
- 近藤敏喬『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年。doi:10.11501/13134523。ISBN 4-490-20243-1。2026年2月10日閲覧。