土佐国(現・高知県)の武将・久武昌源の子として誕生。弟に久武親直がいる。
土佐国の戦国大名・長宗我部元親に仕え、その誠実な性格から元親に重用され、高岡郡佐川城を与えられた。
天正5年(1577年)、伊予国南部(現・愛媛県南予地方)方面の軍を担当する総指揮権(伊予軍代)を与えられ、川原崎氏を討つ。
天正9年(1581年)5月21日、伊予宇和郡岡本城を攻撃中に、城を守る土居清良の奇略に遭って討ち死にした。その死について、従来は天正7年(1579年)とされてきたが、近年の研究(史料批判と金石文の解読に基づく)によって、天正9年であることが有力となった[4]。
親信は有馬温泉で羽柴秀吉と会見したことがあり、そのとき、秀吉の器量のほどを知ったといわれている。