武蔵国児玉郡児玉(現埼玉県本庄市)出身[2]。久米六右衞門の長男。久米彌太郞の従兄。1891年(明治24年)東京法學院(後の中央大学)を卒業する。1896年(明治29年)、家督を相続する。前名松太郞を改める。1897年(明治30年)日本鉄道会社取締役、1898年(明治31年)理事委員として東北本線、高崎線、常磐線などの鉄道拡張に尽力した。1906年(明治39年)副社長となり、鉄道国有法施行に向けた移管手続きに当たった。東京瓦斯に移った後、1910年(明治43年)副社長、1914年(大正3年)社長となった[2]。東京市政疑獄のうち、ガス料金値上げ案通過のため若尾謹之助、市会議員辰沢延次郎、同磯部保次らと共謀してそれら及び同高橋義信、同浅川保平、同増野豊、同中村鉄二に金銭を渡した贈賄で1922年(大正11年)3月30日、東京地方裁判所から懲役6月の実刑判決、1923年(大正12年)1月15日の東京控訴院では、懲役6月執行猶予3年の有罪判決、上告せず確定[3]。これにより勲五等を褫奪された[4]。
久米同族会社社長、日本工業倶楽部理事、國際信託會社長などを歴任した。