久野俊純 From Wikipedia, the free encyclopedia 久野 俊純(くの としずみ、宝永2年8月8日(1705年9月25日) - 安永元年11月23日(1772年12月17日)[1])は、紀州藩田丸城代家老久野家5代当主。 父は久野俊正。母は穂出氏。正室は安藤陳武の娘。子は久野輝純。幼名は藪千代、千松。通称は織部。官位は従五位下・丹波守。号は華峯。 宝永2年(1705年)、田丸城代久野俊正の子として生まれる。宝永8年(1711年)、藩主徳川吉宗に御目見する。享保5年(1720年)、元服する。享保11年(1726年)、父の死去により家督相続し、田丸に入部する。享保13年(1728年)、江戸城で将軍吉宗に拝謁する。享保15年(1730年)、従五位下・丹波守に叙任する。安永元年(1772年)11月23日死去。墓所は玉城町大得寺[2] 文人としても活躍し、文化10年(1813年)刊行の「南紀風雅集」に久野俊純作の漢詩が収められている。 脚注 ↑ 『田丸郷土誌 (三重県郷土資料叢書 ; 第60集)』p.97。 ↑ “三重県度会郡 大得寺/久野家墓所 | 試撃行” (2022年7月15日). 2026年3月30日閲覧。 参考文献 池山始三『田丸郷土誌 (三重県郷土資料叢書 ; 第60集)』三重県郷土資料刊行会、1977年 関連項目 田丸藩 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles