江戸崎城を本拠とする土岐氏によって戦国時代に木原城と龍ケ崎城の中継拠点として築かれたようである[1]。
久野の観音寺の棟札には、永禄2年(1559年)には野口備前守の支配であり、天正5年(1577年)の棟札には、当郷領主土岐越前守と名前がある、この時点では土岐氏の支配下にあったことがわかる。久野城主の土岐越前守ト千(ぼくぜん)は、久野城を中心に下小池城などの支城と連携して西側を防備していたものと思われる。土岐氏の進出後、野口氏はその下で働き、土着し現在に至ったと考えられる。久野城の郭内には野口一族の墓地がある。