寛永20年(1643年)、田丸城代久野宗晴の子として生まれる。慶安2年(1649年)、父の死去により7歳で家督相続する。幼いため紀州藩家老水野重良、安藤義門の後見を受けた。承応3年(1654年)、田丸城代となる。万治3年(1660年)、田丸に初入部する。寛文2年(1662年)、従五位下・丹波守に叙任する。江戸に出府して、江戸城で将軍徳川家綱に拝謁する。元禄3年(1690年)、和泉守に遷任する。元禄14年(1701年)、隠居して家督を嫡男の俊正に譲る。宝永3年(1706年)死去。享年64。墓所は玉城町大得寺[2]。