久野工
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旧土佐藩士・久野克記と母・亀の長男として高知県土佐郡久万村(初月村を経て現・高知市)に生まれ[3]、1922年(大正11年)家督を相続する[1]。1891年(明治24年)高知県尋常中学海南学校(現・高知県立高知小津高等学校)を経て、明治法律学校2年修了[3]。
1896年(明治29年)海軍少主計候補生を命ぜられ、佐世保海兵団附、佐世保鎮守府監督部附を経て、1905年(明治38年)海軍主計少監に進む[3]。ついで、英国出張(鹿島回航委員)に赴き、1910年(明治43年)造船造兵監督会計官に任官すると、英国へ再度赴任し、1912年(明治45年)帰朝する[3]。
1913年(大正2年)12月に海軍省経理局員兼海軍経理学校教官に任じ、1914年(大正3年)12月に海軍主計大監に進む[5]。ついで、経理局第二課長、同局主席局員、同局第一課長を歴任し、1919年(大正8年)12月に海軍主計少将に進み、軍令部に出仕し経理局第一課長事務取扱となる[1][4][5]。さらに、舞鶴経理部長、横須賀経理部長を経て、1923年(大正12年)12月1日、海軍主計中将に進級と同時に軍令部に出仕し、同月10日待命仰せつけられ、翌年の1924年(大正13年)1月に予備役編入となった[1][4][5]。
のち民間に転じ、高知鉄道や藤永田造船所の重役を務め、1938年(昭和13年)9月に推挙され横須賀市長に就任[1][2]。1941年(昭和16年)1月に退任した[6]。
伝記
- 山口立 編『海軍主計中将久野工』久野登久子、1990年。