石渡坦豊
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石渡養泰の二男として相模国三浦郡公郷村(神奈川県三浦郡豊島村、豊島町を経て現横須賀市)に生まれる[1]。1886年(明治19年)神奈川県師範学校を卒業し、三浦郡不入斗学校の教員となる[1]。三浦郡教育会設立の先頭に立ち、1888年(明治21年)実現させた[1]。1892年(明治25年)豊島町長となり、1906年(明治39年)まで務め、尋常高等豊島小学校(現横須賀市立豊島小学校)や横須賀・豊島両町組合立横須賀実業補習学校(現横須賀市立工業高等学校)の設立に尽くした[1]。
この間、1900年(明治33年)神奈川県会議員となり、三浦郡教育会名誉会長、横須賀市学務委員長などを経て、1924年(大正13年)12月6日[2]、横須賀市長に就任した[1]。関東大震災からの復興[2]、市立横須賀病院の設立、市庁舎・市営市場の建設、隣保会館の建設などに努めた[1]。1927年(昭和2年)5月26日に市長を辞し[2]、その後は横須賀商業学校(現横須賀市立横須賀総合高等学校)初代校長を務めた[1]。墓所は横須賀市妙真寺[1]。