了徳寺健二
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経歴・人物
川崎製鉄入社後は軽量級の選手として奮闘する一方で、柔道部監督も務めるプレイングマネージャーだった。会社側はチームの強化に積極的でなかったものの、寝技の卓越した七帝柔道の選手や、国体で活躍していた選手を引き入れてチームの強化を図った。その後さらなる戦力充実を求めて、有望選手が柔道に専念できる柔道専門の部署設立を会社側に要請するも受け入れられず、自身でオリンピック選手を育てる環境を築き上げようと思い立ち、会社を退職した[2]。環境作りの資金稼ぎとして接骨院に目を付けると、夜学の専門学校に5年ほど通い接骨院店舗を数多く展開していった。その過程で柔道に専念しながらオリンピックを目指す選手のための環境を作り上げた[2]。
2000年に学校法人了德寺学園了德寺学園医療専門学校(現:学校法人エイジェック学園スポーツ健康医療専門学校)を設立し理事長に就任、また、2005年には別法人の学校法人了德寺大学を設立し、翌年了德寺大学(現:SBC東京医療大学)を開学、同じく法人の理事長および大学の学長に就任した[2][3]。なお、自身が専門学校時代に遠距離通学に苦労させられた経験から、学生の利便性を考えて専門学校は駅の近くに設置された[2]。
2021年に学校法人了德寺学園了德寺学園医療専門学校をエイジェックに譲渡(翌年度から学校法人エイジェック学園スポーツ健康医療専門学校に改名)、2022年には自身が脱税容疑で東京国税局に摘発されたことを受けて学校法人了德寺大学の理事長も退任し、同法人もSBCメディカルグループホールディングス傘下に移り、既に両法人からは離れている。
略歴
馬主活動

日本中央競馬会(JRA)に登録する馬主としても知られる。勝負服の柄は緑、黄襷、袖黄一本輪、冠名にはかつては「シャイン」(牡馬)、「チェスト」(牝馬、鹿児島弁の掛け声)を用いていたが、現在はスペイン語で「宝物」を意味する「テソーロ」を用い[1]、2023年時点ではすべての所有馬の馬名の後方に付けている。当初は個人名義で馬主登録していたが、2018年より法人名義の「了德寺健二ホールディングス」に変更している[1]。
馬主になったきっかけは、了德寺大学の職員に競馬好きの人物がおり、「馬主になって下さいよ」と頼まれたこと[1]。それ以前は競馬に触れたことはまったくなかったという[1]。
北海道日高町に生産牧場のリョーケンファームを所有するオーナーブリーダーでもある[1]。
来歴
主な所有馬
著書
- 長生きスイッチシリーズ
- 第2弾『長生きのスイッチを教えます』2012年8月
- 第3弾『長生きのスイッチ』2014年6月25日