了玄
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文明10年(1478年)、室町幕府の第8代将軍・足利義政の弟である足利義視の子として誕生[2]。母は不詳[2]。この当時、義視は嫡子の義稙と共に美濃に在国していたことから、美濃で出生した可能性が高い[2]。
延徳3年(1491年)4月、耀山 周台(ようざん しゅうだい)と名乗り、相国寺の大智院に入寺した[2]。
明応元年(1492年)6月、兄の義稙の命によって、真言宗の僧となり、醍醐寺の三宝院門跡となった[2]。
明応2年(1493年)4月、義稙が細川政元らが起こした明応の政変によって失脚し、やがて周防に下向すると、兄に従って周防に入った[2]。周防在国中、三宝院門跡を辞し、名を勝禅院 了玄(しょうぜんいん りょうげん)と号した[2]。
永正5年(1508年)6月、義稙が京都を奪還すると、了玄も兄とともに周防から帰京した[2]。だが、しばらくすると、兄と対立したようで、永正6年(1509年)10月に京都を出奔する騒ぎを起こしている[2]。