維山周嘉
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文明7年(1475年)、室町幕府の第8代将軍・足利義政の弟である足利義視の子として誕生[2]。母は不詳[2]。
延徳2年(1490年)7月、慈照寺に入寺し、維山周嘉と称した[2]。これは、同年正月に伯父の義政が死去した際、自身の死後に東山山荘を寺として、義視の子息の一人を入寺させるように遺言していたことによる[2]。
明応2年(1493年)4月20日、周嘉は相国寺において得度したが、その直後に明応の政変が起き、兄の義稙が細川政元らによって失脚した[2]。
明応8年(1499年)11月、北陸から上洛しようとした義稙が、近江坂本において大敗した際、周嘉は兄に従って共に京都から離れたと『慈照寺諸記』には記されており、この頃までは生存していたことがうかがえる[3]。