了運寺

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所在地 愛知県知立市西町西84-1
位置 北緯35度00分36.8秒 東経137度02分27.5秒 / 北緯35.010222度 東経137.040972度 / 35.010222; 137.040972座標: 北緯35度00分36.8秒 東経137度02分27.5秒 / 北緯35.010222度 東経137.040972度 / 35.010222; 137.040972
山号 神前山
宗派 浄土宗鎮西派
了運寺
所在地 愛知県知立市西町西84-1
位置 北緯35度00分36.8秒 東経137度02分27.5秒 / 北緯35.010222度 東経137.040972度 / 35.010222; 137.040972座標: 北緯35度00分36.8秒 東経137度02分27.5秒 / 北緯35.010222度 東経137.040972度 / 35.010222; 137.040972
山号 神前山
宗派 浄土宗鎮西派
本尊 阿弥陀如来
創建年 不詳
中興年 享保3年(1718年)
中興 光誉直倒秀蓮和尚
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了運寺(りょううんじ)は、愛知県知立市西町西84-1にある浄土宗鎮西派の寺院[1]山号は神前山[1][2]本尊阿弥陀如来[2]東海道から知立神社の参道が分岐する場所にある。

創建

創建年は不詳。池鯉鮒大明神の古代神宮寺七坊の一坊であり、もとは天台宗だった[2]

室町時代末期の明応2年(1493年)、声誉浄林和尚によって浄土宗に改宗し[2]、寺号を了運寺に改称した。

近世

6世の光誉直倒秀蓮和尚によって中興され、享保3年(1718年)に庫裏が建てられた[2]。文化2年(1805年)、10世の宣誉弘阿大法隆道和尚によって鐘楼門が建てられた[2]

近代

知立における梵鐘の供出

もともと池鯉鮒大明神の多宝塔に安置されていた愛染明王像は、廃仏毀釈の動きがあった1868年(明治元年)にまず総持寺に移されたが、総持寺が廃寺となった1872年(明治5年)には了運寺に移され、1927年(昭和2年)の総持寺再興後には総持寺に戻された[3]

1873年(明治6年)9月24日、了運寺庫裏を用いて知立学校(現・知立市立知立小学校)が創立された[4]。なお、小松寺宝蔵寺も校舎に充用されている[5]

太平洋戦争中の1942年(昭和17年)10月頃には金属類回収令によって梵鐘が供出された[6]。戦争末期の1945年(昭和20年)1月13日、三河地震によって鐘楼門が倒壊した[2]

現代

1969年(昭和44年)、15世の正法正性誉然阿教道融存大和尚によって鐘楼門が再建された[2]。1989年(平成元年)、16世の実誉心阿正也和尚によって書院や客殿が建てられた[2]

境内

山門
  • 本堂 - 元文5年(1740年)竣工[2]
  • 大師堂 - 1920年(大正9年)竣工[2]
  • 庚申堂 - 1970年(昭和45年)改築[2]
  • 庫裏 - 享保3年(1718年)竣工[2]
  • 書院 - 1989年(平成元年)竣工[2]
  • 客殿
  • 山門 - 鐘楼門。1969年(昭和44年)再建[2]
  • 手水舎
  • 三十三観音
  • 法要之塔
  • 延命地蔵菩薩

文化財

市指定文化財

  • 「法然上人御絵伝」(絵画)

知立三弘法

知立市には三河三弘法とは異なる霊場巡礼として知立三弘法があり、いずれの寺院も本尊とは別に弘法大師(空海)を祀っている[7]。了運寺は知立駅知立神社総持寺三河新四国八十八ヶ所霊場第1番)を結ぶ経路上にあるため、毎月21日の縁日には巡拝者が多いとされるが、宝蔵寺と慈眼寺の巡拝者はそれほど多くないとされる[7]

番号名称宗派所在地
第1番宝蔵寺曹洞宗知立市宝町刈谷道56
第2番了運寺浄土宗知立市西町西84-1
第3番慈眼寺曹洞宗知立市山町桜馬場4

現地情報

所在地
交通アクセス

脚注

参考文献

外部リンク

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