二の丸殿 (戸田松平家) From Wikipedia, the free encyclopedia 二の丸殿(二之丸殿、にのまるどの、寛永6年(1629年)-天和3年9月17日(1683年11月5日))は、上野七日市藩第2代藩主・前田利意の正室。後に離縁。父は戸田松平家の信濃国松本藩主・松平康長の嗣子である松平忠光。母は蜂須賀家政の四女辰(実相院)。異母兄には松平光重がいる。名は房[1]。 信濃国松本藩主・松平康長の嗣子であった松平忠光と正室・実相院(辰姫)との間に生まれる。松平忠光が寛永6年3月16日に死去。この年に房は産まれたが、母の実相院も同年7月21日に死去している[1]。寛永10年6月28日に外祖父蜂須賀家政の住む徳島城西御丸に移り従兄の蜂須賀忠英の養妹となる。 正保4年9月28日(1647年9月1日)上野七日市藩第2代藩主・前田利意の正室となり、江戸に移住。後に離縁し、異母兄の松平光重の居城・美濃国加納城の二の丸に住した。そのため「二の丸殿」と呼ばれた。 外祖父蜂須賀家政が逝去した翌年に兄が播磨国明石城から美濃国加納城へ移封。戸田松平家の前知行地、播磨国明石の台寺に住んでいた祐加上人を招き、美濃加納城の北に高家寺を開山した。 天和3年9月17日(1683年11月5日)55歳で卒去。加納藩主戸田松平氏の菩提寺の智勝院_(本巣市)に葬られた。墓石あり。法名は松雲院殿心台慧性大姉。[1] 脚注 1 2 3 岡田鴨里『蜂須賀家記』1876年、207-211頁。doi:10.11501/780518。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780518。 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles