二階堂蓮

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国籍 日本の旗 日本
フルネーム Ren Nikaido
誕生日 (2001-05-24) 2001年5月24日(24歳)
二階堂 蓮
基本情報
国籍 日本の旗 日本
フルネーム Ren Nikaido
誕生日 (2001-05-24) 2001年5月24日(24歳)
出身地 北海道江別市
身長 166cm
選手情報
クラブ 日本ビール
使用メーカー フィッシャー
最高記録 228.5m
ワールドカップ
シーズン 2020年 -
優勝回数 1回
他の表彰台 3回
表彰台獲得数 4回
獲得メダル
男子 スキージャンプ
オリンピック
2026 ミラノ・コルティナダンペッツォ個人ラージヒル
2026 ミラノ・コルティナダンペッツォ個人ノーマルヒル
2026 ミラノ・コルティナダンペッツォ混合団体
スキーフライング世界選手権
2026 オーベルストドルフ団体
2026 オーベルストドルフ個人
最終更新日:2026年2月11日
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二階堂 蓮(にかいどう れん、2001年5月24日 - )は、北海道江別市出身のスキージャンプ選手である。父は元スキージャンプ選手の二階堂学[1]

ジュニア時代は同学年の竹花大松小林龍尚らと競い合う。江別市立大麻東中学校2年時の2016年には雪印メグミルク杯ジュニア組を制する。

中学3年時の2016/17シーズンは9月のヒンターツァルテン大会よりFISカップに参戦し、2017年1月のオークレア大会でポイントを獲得。ジュニア世界選手権パークシティ大会に出場し、個人29位、団体4位のメンバーとなった。国内戦では宮様スキー大会ラージヒル少年組を制した。

2017年4月、下川商業高校へ入学。2017/18シーズンは7月のコンチネンタルカップクラニ大会から8戦に出場したがポイントは獲得できなかった。ジュニア世界選手権カンデルシュテーク大会は個人52位であった。

2018/19シーズンは9月のFISカップルシュノヴ大会で2連勝。雪印メグミルク杯少年組を制し、ジュニア世界選手権ラハティ大会は個人戦には出場できなかったが、男子団体4位、混合団体7位のメンバーとなった。

2019/20シーズンは8月のFISカップ平昌大会2日目で優勝。コンチネンタルカップ札幌大会で初めてポイントを獲得し、ワールドカップ札幌大会にデビュー、35位、46位とポイント獲得はならなかった。雪印メグミルク杯少年組を連覇し、高校総体および国体少年組優勝後、ジュニア世界選手権オーバーヴィーゼンタール大会は個人14位、男子団体5位、混合団体9位のメンバーとなった。

2020年4月、東海大学へ入学。2020/21シーズンは1月のHBC杯でシニア初優勝。コロナ禍のため海外試合が限定され、ジュニア世界選手権ラハティ大会とその直前のFISカップのみの参戦となった。3月には競技に専念するため大学を中退する[1]

2021/22シーズンはアルバイトをしながらNSC(Nordic Ski Club)札幌所属として国内試合に参戦し[1]、国内大会となった1月のSTV杯で優勝。コンチネンタルカップは8戦に出場し、全ての試合でポイントを獲得した。

2022/23シーズンは新設された日本ビールスキー部に所属する[2]。9月のコンチネンタルカップリレハンメル大会の2戦連続で2位となったことから、自力でサマーグランプリ出場枠を勝ち取り、初出場となったルシュノヴ大会で初優勝を飾った。国内戦では全日本スキー選手権ノーマルヒル優勝を含む6勝をあげた。ワールドカップ開幕から海外遠征メンバーに選出され、初戦のヴィスワ大会で28位となりポイントを獲得した。総合成績は49位であった。世界選手権に初めて代表として選出され、個人ノーマルヒル43位、個人ラージヒル32位、男子団体ラージヒル7位のメンバーとなった。

2023/24シーズンは、サマーグランプリにフル出場し、ルシュノヴ大会第2戦で2位などの成績を上げ、総合3位であった。国内戦ではNHK杯(兼全日本スキー選手権ラージヒル)を制した。ワールドカップもフル出場し、札幌大会第2戦の7位を最高に、総合22位でシーズンを終えた。フライング世界選手権バート・ミッテルンドルフ大会は個人30位、団体5位のメンバーとなった。

2024/25シーズンは、国内戦ではサマーで1勝した。サマーグランプリではルシュノヴ大会第2戦で2位となった。ワールドカップはフル出場し、ラハティ大会のスーパーチーム戦で小林陵侑とのペアで3位に入り、初の表彰台登壇となった。総合は18位であった。世界選手権の代表に選ばれ、個人ノーマルヒル22位、個人ラージヒル42位、混合団体5位、男子団体5位のメンバーとなった。

2025/26シーズンは、11月29日のフィンランド・ルカでワールドカップ初の個人表彰台(2位)、1月4日のジャンプ週間インスブルック大会でワールドカップ初勝利を挙げた。

2026年2月にはミラノ・コルティナダンペッツォオリンピックに出場し、オリンピック初出場を果たした。9日の個人ノーマルヒルでは、2本のジャンプの合計得点が266.0点で、スイスグレゴア・デュバンデンと同率3位となって銅メダルを獲得した[3]。表彰式では、2人がともに3位の箇所に上がってそれぞれ銅メダルを受け取り、国歌斉唱の際には3位の箇所のポールに日本国旗とスイス国旗が一緒に掲揚された。ちなみに、冬季オリンピックのスキージャンプ競技で2人の選手が同率の順位で同じ色のメダルを獲得するのは、1980年レークプラシッド大会の70メートル級(現ノーマルヒル)で日本の八木弘和東ドイツマンフレート・デッケルトとが同率2位で銀メダルを獲得して以来46年ぶり史上2度目のレアケースであった[4]。ただ、レークプラシッド大会では銀メダル2人で銅メダルなしの結果であったため、表彰台に4人の選手が上がる形になったのは冬季オリンピックのスキージャンプ競技史上初のケースとなった。

2月10日には混合団体に丸山希小林陵侑高梨沙羅とともに出場し、二階堂はジャンプ4人目を担った。結果、日本は合計1034.0点をマークして4位のドイツとわずか1.2点差、飛距離に換算しておよそ50センチメートルの僅差で銅メダルを獲得した[5]

2月14日には個人ラージヒルで合計295.0点をマークして銀メダルを獲得した[6]

2月17日には男子スーパーチームに小林陵侑とともに出場し、ジャンプ1人目を担った。日本チームは2回目を終えて6位となり、3回目では1人目の二階堂が138.5メートルの大ジャンプを飛んで2位に浮上するも、大雪の影響で3回目の2人目のジャンプは実施せず中止となり、2回目までの順位が最終結果とされたため、二階堂の3回目の138.5メートルの記録は幻となり日本チームは6位の最終順位となった[7]。結果、オリンピック初出場で個人・団体合わせて3個のメダルを獲得し、スキージャンプ競技で日本人選手が1大会で3個のメダルを獲得するのは1998年長野オリンピックでの船木和喜以来の快挙であった。

主な競技成績

脚注

外部リンク

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