五色沼 (仙台市)

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三の丸、子の門跡付近から見た五色沼(2025年12月)。

五色沼(ごしきぬま)は、宮城県仙台市青葉区青葉山公園内にあるである。元々は仙台城(青葉城)をめぐるの一部で、仙台城三の丸[座標 1]の北面から大手門隅櫓[座標 2]の前にかけて広がる。明治時代以降、市民がここでスケートを楽しんだ。日本のフィギュアスケート発祥の地とされる。

仙台城の模式図。「H」が大手門、「O」が三の丸で、その間に挟まれている東西に長い堀が五色沼。なお、「1」が本丸、「2」が二の丸、図中の右側を上から下に流れる川が広瀬川

広瀬川河岸段丘である青葉山本丸を置く平山城の仙台城は、より低い段丘上に二の丸(現在の東北大学川内キャンパス所在地)と三の丸(現在の仙台市博物館所在地)がある。この三の丸を造営する際、広瀬川の後背湿地に堀を割り、掘った土で土塁を築いて三の丸を囲んだ。後に、三の丸の北面の堀は五色沼[座標 3]、東面のそれは長沼[座標 4]と呼ばれるようになった。

大手門を挟んで北側にある二の丸をめぐる堀もあったが、そちらは陸軍の駐屯地になった時になくなった。三の丸の二つの堀だけが現在も残る。

現在の五色沼は、池の南に三の丸の土塁が接している。木々が生え、秋になると紅葉する。

日本フィギュアスケート発祥地

大手門跡側から見た冬季の五色沼(2005年1月)
画像外部リンク
仙台スケート会 / 1912年(明治45年) 第二高等学校

五色沼は「日本フィギュアスケート発祥の地」とされており[1][2][3]、五色沼のほとりに「日本フィギュアスケート発祥の地」の碑と男女ペアスケーターのブロンズ像が設置されている[4]がある[5]

明治時代、外国人が五色沼でフィギュアスケートを楽しんでいたことが日本フィギュアスケートの始まりとされている。資料により異なるが、1890年(明治23年)頃[6]、または1897年(明治30年)頃[7]のこととされている。1897年(明治30年)頃から、外国人宣教師が日本の子供たちにフィギュアスケートを教えたという[6]

旧第二高等学校(現在の東北大学)の生徒もドイツ語教師からフィギュアスケートを教わり、後輩とともに各地で普及に努め、日本スケート界の功労者といわれた[8][9]1922年(大正11年)には二高スケート部がスケート大会を発足したが、五色沼の氷結状態が良くなかったため、広瀬川の大橋付近で行われた。二高関係者が結成した仙台スケート協会は、1923年(大正12年)に五色沼管理者の陸軍第二師団と交渉し、五色沼を仙台スケート協会の専用リンクとして借りた。さらにリンクの整備について兵員の動員が認められ、五色沼はよく整備されたスケートリンクとなった[7]

1931年昭和6年)には第2回全日本フィギュアスケート選手権(シニア、ジュニアの部)が開催された。また、1935年昭和10年)、1928年サンモリッツオリンピックのフィギュアスケート競技および1932年レークプラシッドオリンピックのフィギュアスケート競技でフィギュアスケート女子シングル2大会連続銀メダリストのフリーツィ・ブルガーオーストリア)が模範演技を披露した[6]

五色沼で開催された各競技の試合は、1956年(昭和31年)のアイスホッケーが最後とされる[6]。スケートが行われていた当時と比較して、年平均気温が2度上昇した現在では、五色沼に氷が張ることも少なくなった[7]

脚注

関連項目

外部リンク

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