五部
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歴史
古くは1574年(天正2年)12月2日と推定される『垪和康忠充芳春院周興昌寿連署書状写』に「五部、芳春院領」とある。江戸期には日光東往還諸川宿、仁連宿の助郷役が置かれ、幕末は旗本森柳氏領となった。
村高は『元禄郷帳』、『天保郷帳』、『旧高簿』いずれも134石余であり、物産は米、麦、豆類であった。『天保郷帳』には「五遍村」とある。南部の香取神社には「旧正一位香取大明神氏子中 寛政三年九月十五日」とあり、小字に残る「溜下」、「溜淵」の名は、付近が不安定な降水に依存する天水田であったことを示唆している。
1875年(明治8年)より茨城県、1878年(明治11年)より猿島郡に属す。1891年(明治24年)の戸数は18戸、人口は118人であった。
沿革
世帯数と人口
交通
五部を通る公共交通機関は無く、国道125号、茨城県道・千葉県道17号結城野田線を走る茨城急行自動車諸川周辺のバス停が最寄となる。最寄駅は国道125号を3kmほど西へ進んだバスの終点、古河駅である。交通インフラの整備は遅れており、未舗装の砂利道も存在する。