福岡県久留米市に生まれる。福岡県立中学明善校(現福岡県立明善高等学校)卒、1924年日露協会学校卒。翌年上京して文筆活動に入り、社会科学文献を翻訳。
1930年ソ連大使館に勤務、ロシア事情の紹介などを行うが、1936年軍機保護法違反で逮捕され三年間下獄。出獄後はロシア文学の翻訳に従事。
1941年ゴンチャロフの『フレガート艦パルラダ』を『日本渡航記』として翻訳、1943年ゴロヴニン『日本幽囚記』を翻訳する。
戦後はゴンチャロフの『断崖』『オブローモフ』などのほか、ロシア文学を多数翻訳。また日ソ親善協会を創立、日ソ学院を創立し副学院長を務めた。