井伊宜子 From Wikipedia, the free encyclopedia 井伊宜子 井伊 宜子(いい よしこ、嘉永4年2月26日(1851年3月28日) - 明治28年(1895年)1月4日)は、江戸時代幕末から明治時代にかけての皇族、華族。父は有栖川宮幟仁親王。井伊直憲の最初の夫人。旧名宜子女王。幼名は糦宮(もりのみや)。 有栖川宮幟仁親王の三女。母は家女房森則子。 明治元年(1868年)9月、彦根藩主井伊直憲(のち伯爵)と縁組。同年12月結納。翌明治2年(1869年)2月21日京を発し、同23日彦根に着いて婚儀を挙げた。明治4年(1871年)9月7日、長男・弘太郎を産んだが、生後3か月足らずで夭折。明治14年(1881年)5月29日、次男・直忠を産む。 明治28年(1895年)に死去。法名は春照院。豪徳寺に葬られた。 和歌をよくし、著作に「代々木別邸内名所和歌」がある。 参考文献 『新修有栖川宮系譜:高松宮藏版』(高松宮編修掛、1940年) 芳賀登ほか監修『日本女性人名辞典』(日本図書センター、1993年) この項目は、日本の皇室、皇族に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Category:日本の皇族)。表示編集 宜子女王 (有栖川宮)に関するカテゴリ: 日本の女王 (皇族) 有栖川宮 戦前日本の女性皇族 Related Articles