井出猪之助

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井出 猪之助(いで いのすけ、1846年6月10日弘化3年5月17日〉 - 1915年大正4年〉8月10日)は、明治時代の教育者。元備後福山藩士。

旧暦弘化3年5月(西暦1846年6月)、江戸本郷丸山の福山藩邸内にて秋月忠善(鉄蔵)の二男として生まれる。幼少より丸山藩邸内の江戸誠之館で漢学を学び、文学試験を及第して元治元年(1864年)に誠之館助教となり、武術は無極無辺流槍術の印可を伝授された。慶応2年(1866年)、旧藩主阿部正寧生母井出氏の名跡を継ぎ、25俵二人扶持を給せられる。

慶応4年/ 明治元年正月(1868年)の鳥羽・伏見の戦いを端緒に戊辰戦争が勃発すると、国許の福山藩は長州軍に攻められ早々に恭順したが、江戸詰の井出は同志とともに脱藩し、菊池忠英に変名。山岡鉄舟を頼って藩主に代わり徳川家の恩に報ぜんことを申し出ると、精英隊への加入と同年2月以降に前将軍徳川慶喜が謹慎蟄居していた寛永寺大慈院の巡邏を許可されたという。4月11日(5月3日)の江戸開城とともに慶喜が水戸へ退去すると、朝命により井出らは福山藩へ召し返され、6月に福山へ帰国の上、閉門謹慎の処分を受ける。その後、藩重役より贖罪として福山藩の箱館出兵への加盟を命じられ、明治2年5月(1869年6月)の箱館戦争終結まで従軍。その帰途、井出は東京に留まり、藩の庇護のもと7月に英学修業のため大学南校に入学し、廃藩置県直前の明治4年6月(1871年)に卒業。帰郷して誠之館の英語中助教を拝命し月俸2貫5百目を給せられた。

明治5年1月(1872年)、再び上京して慶応義塾に入塾後、3月より工部省燈台寮雇となった。 同年9月、日本初の教員養成機関である師範学校(のち東京師範学校)の入学試験を経て上等生(官費生)として入学し、アメリカ人教師スコットのもとで西洋式の近代的教授法を学び、初の修了生10名の1人として新暦1873年(明治6年)7月に卒業、同期の天野皎とともに官立大阪師範学校に派遣配置された。1875年(明治8年)2月からは堺県師範学校に訓導(のち教授)として赴任、この時期の前後、同僚とともに多くの教科書・掛図編纂に従事し、大阪の書肆より発刊した。

1881年(明治14年)2月に堺県が大阪府に統合され、同年8月に堺県師範学校奈良分校が大阪府立奈良師範学校に改組されると校長に就任。次いで1886年(明治19年)2月より本部である府立大阪師範学校(9月に大阪府尋常師範学校と改称)校長に就任したが、翌1887年(明治20年)4月より奈良県吉野尋常中学校長に転じ、1893年(明治26年)10月新設の奈良県尋常中学校(郡山)に同校が統合されるまで在任。なお、小学師範学科卒業の資格のみ有していた井出は、1893年前半に正式に中等教育の倫理科(尋常師範・中学校、高等女学校)及び漢文科(尋常師範・中学校)の教員免許状を取得した[1]

1895年(明治28年)4月より岐阜県尋常中学校教諭に採用される。同校校長は同窓の後輩(東京師範学校中学師範学科卒)の田口虎之助で、1896年(明治29年)4月に田口が広島県福山尋常中学校長に任じれられると、井出も翌5月より同校教諭として帰任。その後、同校は1897年(明治30年)に第二尋常中学校、1899年(明治32年)に第二中学校、1901年(明治34年)に福山中学校に改称(田口校長は1898年6月に休職)したが、井出は1904年(明治37年)3月まで同校教諭を務め、同年4月より私立福山女学校(現在の福山市立福山中・高等学校)校長に就任した。1905年度(明治38年度)より再び福山中学校の嘱託教師として1912年(大正元年)年8月まで務めた後、私立盈進商業実務学校(現在の盈進中学高等学校)に教諭として迎えられた[2]

1915年(大正4年)8月、福山東町の自宅にて死去。享年70。

教科書編纂

  • 編纂「大日本地理全図」1葉:梶田喜蔵(文敬堂)、1874年[3]
  • 編著『小学会話之捷徑 一名作文初歩』全2冊+附録:文敬堂、1874年6月
  • 編著『小学地理問荅』全2冊:文敬堂、1874年7月-11月
  • 訳著『暗射地球全図記』附訳図:文敬堂、1874年8月
  • 編著『万国地誌略』全5冊:龍章堂、1875年2月-12月
    • 『改正万国地誌略』全5冊:龍章堂、1876年3月
  • 編著『師範学校 掛図童子訓』全5冊:天野皎 共編、文敬堂、1875年4月
  • 校正『小学入門略解』若林長栄 訳述:文敬堂・文泉堂、1875年6月
  • 編著『小学 日本暗射図解』全3冊:光玉堂・寶玉堂、1875年8月
  • 編纂「大日本国諳射図」1幅、1876年[4]
  • 編著『万国略史』全5冊:龍章堂、1876年2月
  • 編著『日本地理書』全5冊:田中宋榮堂・此村欽英堂、1876年3月-1877年4月
  • 編著『上等小学課書 万国地理書 地図答式及各大洲分図』龍章堂、1877年5月
  • 編著『上等小学課書 万国地理書』全4冊:龍章堂、1877年6月
  • 編著『小学科用 地学総論』松本英忠 閲:龍華堂、1877年6月
  • 校正『文部省新刊小学懸図 博物教授法 巻之三 爬虫類之部・多節類之部』島次三郎 注解:墨香居、1878年1月
  • 校正『小学科用 皇国度量法』原田卯七郎 編、川本和行 共校:鈴木双鶴堂、1878年3月
  • 校正『下等小学 日本地図提要』小牧六郎 編:貳書堂、1878年4月
  • 校正『下等小学 万国地図提要』小牧六郎 編:田中宋榮堂・此村欽英堂、1878年4月
  • 校正『小学科用 画用幾何』大原近義 編:鈴木双鶴堂、1879年1月
  • 校正『筆算数学書 第1巻』大原近義・城井春助・小林政次郎 編、川本知行 共校:敬業館、1879年9月
  • 編著『下等小学課用 算術書 巻之1』川本知行 共編:弘暢舎、1879年10月

脚注

参考文献

関連文献

外部リンク

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