菊池氏三代目当主、菊池経頼の子、菊池経益が領地の井芹という地名から井芹経益と名乗り、中尾丸城を本拠とした。
1272年、元が攻めてくると井芹秀重は82歳という高齢ながらも一族郎党を率いて出陣した。(石清水文書)
この際地頭の暴動で領地を失った。
天正の頃、井芹加賀守の代に甲佐に移り、阿蘇家の与力衆として70名余りの集団に成長した。
1581年の響野原の戦いで甲斐氏側として参戦。
この直後に甲斐宗運が井芹氏が島津氏に内通して阿蘇家を滅ぼそうと企んでいるのを聞き、一家ずつ夜襲をかけ、大将の加賀守は糸田で渡邊軍兵衛によって討ち取られた。 。
戦いから生き残った一族は帰農し庄屋として生計を立てたがその後武家株を取得、八代の分家が酒造業を営み成功し、井芹典太と長男の井芹康也が貴族院に抜擢された。