過度経済力集中排除法
日本において1947年に公布された法律
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概要
当時の連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)最高司令官ダグラス・マッカーサーの指示の下に行われた財閥解体に限らない、全ての過度の独占的企業を解体を実施するための法律で、巨大独占企業を分割するための手続を定めていた。当初、325もの会社が分割の対象として指定されたが、その後のGHQの方針転換(逆コース)により、実際に分割されたのは次節の11社に留まった。なお当初指定された企業中、別の法律適用により分割された、過度経済力集中排除法の施行に伴う企業再建整備法の特例等に関する法律及び過度経済力集中排除法第二十六条の規定による持株会社整理委員会の職権等の公正取引委員会への移管に関する法律の適用範囲を含めれば28社であった[4]。
冷戦の開始により共産主義の防波堤として日本の経済力向上が優先された為に米国本国政府の方針が変更され、実際の法適用は抑制された内容に留まった。独占禁止法により持株会社が禁止されたため、コンツェルンの形での財閥はなくなったが、三井財閥・住友財閥・三菱財閥などは株式を持ち合う企業グループ(三井グループ、住友グループ、三菱グループ)という形でその後も温存されることになる。
1955年(昭和30年)、第53代内閣総理大臣・日本民主党総裁鳩山一郎率いる鳩山内閣は、過度経済力集中排除法等を廃止する法律案(内閣提出第42号)を提出し、田中角栄が委員長を務めた衆議院商工委員会等の審議の上、本法は、過度経済力集中排除法等を廃止する法律(昭和30年7月25日法律第87号)により、同日をもって廃止された[5]。
以降は、事業支配力が過度に集中することとなる会社の設立や、他の国内会社の株式を取得、または所有することにより国内で事業支配力が過度に集中することとなる会社になること等は、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(昭和22年法律第54号)によって制限されている[6]。
なお、大日本帝國植民地時代の朝鮮半島(現・大韓民国)で発祥した財閥は、21世紀の現在に至るまでそのままの形で存続している。
分割された会社
- 日本製鐵
- 大建産業
- 三菱重工業
- 三菱鉱業
- 三井鉱山
- 井華(住友)鉱業
- 井華鉱業(現在の住石ホールディングスおよび住石マテリアルズ)
- 別子鉱業(現在の住友金属鉱山)
- 住友建設(現在の三井住友建設)
- 別子百貨店(のちの新居浜大丸。2001年閉店)
- 大日本麦酒
- 朝日麦酒(現在のアサヒグループホールディングス)
- 日本麦酒(現在のサッポロホールディングス)
- 北海道酪農協同(酪連)
- 王子製紙
- 帝国繊維
- 東洋製罐
- 東洋製罐
- 北海製罐(現在のホッカンホールディングス及び北海製罐)