亞 (雑誌)
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1923年、当時日本の租借地であった大連(現在の中華人民共和国旅大市)に住んでいた安西冬衛のもとに、中学時代の同級生であった北川冬彦、城所英一、富田充が訪れた。その際に合同で詩誌を発刊する話が持ち上がり、1924年11月に大連で『亞』を創刊した[3]。当初、城所らは東京で詩誌を発刊することを提案していたが、安西がそれを退けて大連での発刊に踏み切った。そのような意見の相違もあり、北川ら3人は第3号で『亞』同人を脱退、その後3人は福富菁兒と共に発行していた雑誌『未踏路』を発展させる形で、詩誌『面』を創刊した[3]。3人の脱退のあと、『亞』には滝口武士、加藤郁乎、水原元子(北川冬彦の妹)らが参加するようになった[3]。特に滝口武士は安西とともに編集・発行の中心的役割を担った[1]。
その後『亞』は『面』と共に注目される詩誌となり、1925年に萩原朔太郎が『日本詩人』誌上で、『亞』に掲載された安西冬衛の作品に対し好意的な評を寄せたことで、その存在が決定的に注目度を増した[3]。同1925年には、大連市で「全国同人雑誌展観」を開催し、多数の詩誌を展示すると共に自作の詩を展示する会を開催した[4]。1923年から1927年にかけては50を越える同人詩誌が登場したが、『亞』はその多くと交換詩誌関係をもっており、第7号時点で43誌と詩誌を交換していた[4]。
1926年の第24号から尾形亀之助が同人として参加、続く第25号から表紙絵も尾形が書いたものに変更された(なお24号までは北川冬彦が書いた題字が使用されていた)[5]。
1927年に第35号で廃刊となり、最終号では高村光太郎や草野心平ら60名の回想文が掲載された[3]。尾形亀之助を除く終刊時の同人は『詩と詩論』に参加した[5]。