人見俊広
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那須ゴルフ倶楽部から1961年に湯河原カンツリー倶楽部へ移籍し、1965年[1]にプロテストで合格[3] [4]。
関東プロに数回出場するなどしていたが[3]、1974年にはアジアサーキットのタイランドオープンに参戦[4]。初日は強風で多くのゴルファーがプレーできなかったが、人見はコンディションの良い日に3バーディーを出す[5]。2日目には首位に立ち、3日目には地元のプラダ・ナガムプロムに並ばれ、最終日は3オーバー・パー75とやや低調なスコアで上がったが、雨で他のプロがスコアを崩す隙に、許渓山(
中華民国)、ウォルター・ゴドフリー(
ニュージーランド)、イレネオ・レガスピ(
フィリピン)、ナガムプロム、ゲイロード・バローズ(
アメリカ合衆国)ら5人に1打差を付け、4日間通算3オーバー291で辛くも逃げ切った[3] [4]。橘田規(1966年)、石井朝夫(1967年)に続く7年ぶり3度目の日本人制覇でプロ入り初優勝を挙げ、賞金2800ドル、日本円で約84万円を獲得[3] [4]。
帰国後の東京チャリティクラシックでは36人がアンダーパーを出した初日に69をマークし、関水利晃・橘田・矢部昭・尾崎将司・安田春雄・草壁政治と並んでの8位タイでスタートした[6]。
シニア転向後の1992年には関東プロシニアで榎本七郎と並んでの10位タイ[7]、スポーツ振興カップで小川清二・郭吉雄(中華民国)と並んでの4位タイ[8]に入ったが、1998年の日本プロシニアを最後にシニアツアーから引退[1]。