那須ゴルフ倶楽部

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所在地 日本の旗 日本
栃木県那須郡那須町大字湯本212番地
開業 1936年昭和11年)7月5日
運営 メンバーシップコース
那須ゴルフ倶楽部
Nasu Golf Club
那須ゴルフ倶楽部
那須ゴルフ倶楽部の空中写真。
2013年9月17日撮影の3枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
所在地 日本の旗 日本
栃木県那須郡那須町大字湯本212番地
座標: 北緯37度5分39.36秒 東経139度59分39.89秒 / 北緯37.0942667度 東経139.9944139度 / 37.0942667; 139.9944139
概要
開業 1936年昭和11年)7月5日
運営 メンバーシップコース
設計 井上誠一藤田欽哉
運営者 一般社団法人 那須ゴルフ倶楽部
コース
]

OUT IN
HOLEPARYARDHOLEPARYARD
1 4401 1 4402
2 3149 2 4327
3 4380 3 5496
4 4359 4 3161
5 5472 5 4337
6 4389 6 4410
7 5510 7 3239
8 3214 8 4417
9 4419 9 5460
363293 363249

その他
公式サイト 那須ゴルフ倶楽部
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那須ゴルフ倶楽部(なすゴルフくらぶ)は、栃木県那須郡那須町にあるゴルフ場である。

那須ゴルフ倶楽部は、那須連山の麓、標高900メートルに広がる、戦前に造られた歴史のあるゴルフ場である。那須高原の発展は、1926年大正15年)に建設された御用邸に始まるといわれている[1]。また、那須ゴルフ倶楽部は、「軽井沢ゴルフ倶楽部」とよく比較される、軽井沢ゴルフ倶楽部は「東京ゴルフ倶楽部」のメンバーが多く、那須ゴルフ倶楽部は「霞ヶ関カンツリー倶楽部」のメンバーが多いことから、霞ヶ関カンツリー倶楽部の別荘といわれた[1]。そうしたことから、那須にもゴルフ場を造ろうとの動きが出始めたのが、1933年昭和8年)で、それに答えたのが藤田欽哉だった[1]

1935年(昭和10年)7月、コースの工事に先立って、クラブハウスとロッジが開設された。1936年(昭和11年)7月5日、9ホール(現・インコース)が開場、翌年の1937年(昭和12年)7月10日、9ホール(現・アウトコース)が開場、計18ホールのゴルフ場が開場した。コース設計を行ったのは井上誠一で、戦前ということで着工以来3年の歳月を要した、自然の地形を生かした山岳コースである。その後、戦争が激しさを増し、1941年(昭和16年)4月、「東京ゴルフ倶楽部朝霞コース」は陸軍戦車隊用地として、「武蔵野カンツリー倶楽部六実コース」と「武蔵野カンツリー倶楽部藤ヶ谷コース」は陸軍飛行隊に、1942年(昭和17年)には「川奈ホテルゴルフコース」も戦傷者の療養施設として徴用された。那須ゴルフ倶楽部も日本ゴルフ協会からの自粛通達があり、社名を「那須山園株式会社」と名称変更された。そして、コースは陸軍の耕作修練場に徴用された[2][3]

全コースが再開されたのは、1949年(昭和24年)で、それまで放置されていた。1951年(昭和26年)、旧社名の「株式会社那須ゴルフ倶楽部」に戻り、更に1959年(昭和34年)8月、社団法人の認可を受けた。1957年(昭和32年)9月、那須生え抜きの小針春芳プロが、第22回 日本オープンゴルフ選手権競技大会で優勝した。コースの特徴は、ハザードのバンカー18個と池1つと少ないが、那須地方特有の強い風が吹くことである。名物ホールとしては、インコースの14番で、距離の短いミドルコースだが、正面には那須岳を望み、フェアウエイの中間にはセセラギが横断する素晴らしい景観のホールである[2][3]

所在地

〒325-0301 栃木県那須郡那須町大字湯本212番地

コース情報

  • 開場日 - 1936年7月5日
  • 設計者 - 井上 誠一・藤田 欽哉
  • コースタイプ - 山岳コース
  • コース - 18ホールズ、パー72、6,548ヤード、コースレート72.0
  • グリーン - 2グリーン、ベント(ペンクロス)
  • プレースタイル - 歩いてのラウンド、全組キャディ付き 
  • 練習場 - 6打席 180ヤード
  • 休場日 - 無休(11月下旬から4月中旬までの冬期間はクローズ)[4][5]

ギャラリー

交通アクセス

鉄道

道路

エピソード

  • 霞ヶ関カンツリー倶楽部のプロゴルファーは、暑い夏の期間、那須に出かけ那須ゴルフ倶楽部で練習し、冬の寒い期間、那須ゴルフ倶楽部の小針春芳プロは、霞ヶ関カンツリー倶楽部で練習した[7]
  • 那須ゴルフ倶楽部のコース設計は、井上誠一と藤田欣哉の共同設計といわれているが、事実上は井上誠一のソロデザイン第1号である[7]
  • 山岳コースである山野の20万坪の用地は、高低差が大きく、モッコとツルハシだけで、地形の高いところから工事を開始して、余った土量を下に落としながら工事を進めた。約30メートルの打ち下ろしホールの16番ホール、パー3はその名残である[7]
  • 作家の獅子文六は、那須ゴルフ倶楽部が好きだった、「ゴルフだけならどこでもやれる。泊りがけでこの山奥にやってくるのは、クラブライフを楽しみたいからだ」と書いている[7]
  • 那須ゴルフ倶楽部は、コースが出来上がる前にクラブハウスとロッジを建てた、ゴルフよりゴルフライフなのである。戦前は、奥さんたちが家族会員になって、クラブハウスでお喋りを楽しんだ。現在でも、メンバーラウンジは夜10時でも賑わっている[7]
  • 古くは、夏季に、1番ホールと9番ホールの間で、メンバーの子ども達の運動会を行ったという記録が残っている[7]

脚注

関連文献

関連項目

外部リンク

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