人見武雄 From Wikipedia, the free encyclopedia 国籍 日本出身地 滋賀県生年月日 (1935-01-05) 1935年1月5日(90歳)身長体重 179 cm65 kg人見 武雄基本情報国籍 日本出身地 滋賀県生年月日 (1935-01-05) 1935年1月5日(90歳)身長体重 179 cm65 kg選手情報投球・打席 右投右打ポジション 内野手プロ入り 1957年初出場 1957年最終出場 1964年経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) 滋賀県立大津東高等学校 日本大学 阪急ブレーブス (1957 - 1964) この表について この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。 ■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 人見 武雄(ひとみ たけお、1935年1月5日 - )は、滋賀県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 大津東高(現膳所高校)では、1952年夏の甲子園県予選決勝で瀬田高に敗退、京津大会には進めなかった。日本大学へ進学。東都大学野球リーグでは在学中に5回優勝。1年生の春季リーグからレギュラーとなり三塁手、遊撃手として活躍。1954年秋季リーグでは穴吹義雄に次ぐ打率.345を記録。1955年春季リーグで優勝に貢献、最高殊勲選手賞を獲得した。直後の全日本大学野球選手権大会では、決勝で明大の秋山登に完封され準優勝。翌1956年の同大会でも、同じく決勝で関大の村山実に抑えられ準優勝に終わった。リーグ通算98試合出場、364打数101安打、打率.277、3本塁打。大学同期に島津四郎、江崎照雄両投手、二塁手の畠中良雄(阪急)がいる。 畠中とともに1957年に阪急ブレーブスへ入団。1年目から三塁手として増田浩と併用され、65試合に先発出場。2年目の1958年には三塁手の定位置を得る。1960年には初めて規定打席(打率.270、14位)に達した。1961年には石井晶が三塁手に起用されたため、内野全般をこなすユーティリティプレーヤーとして活躍するが、翌年から出場機会が減少。1964年に引退した。引退後は六甲山ホテルの営業となる。[要出典] 詳細情報 年度別打撃成績 年度球団試合打席打数得点安打二塁打三塁打本塁打塁打打点盗塁盗塁死犠打犠飛四球敬遠死球三振併殺打打率出塁率長打率OPS 1957 阪急 9125223315501413751811411400211.215.259.322.581 1958 973223003383122411129104221501309.277.313.370.683 1959 10033731622775341002553401312292.244.278.316.594 1960 1144304075011027251563785421512436.270.300.383.683 1961 105357312357112351042974243712335.228.313.333.647 1962 701691561428521401554211000296.179.229.256.485 1964 5440000000000000010.000.000.000.000 通算:7年 58218711728169419751322586153362118101043718629.242.288.339.627 背番号 2 (1957年 - 1964年) 関連項目 滋賀県出身の人物一覧 日本大学の人物一覧 オリックス・バファローズの選手一覧 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。表示編集 Related Articles