仁義佛立講開拓団
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概要
開拓団の遭難
1945年8月9日、ソ連軍が満洲国に侵攻を開始した。8月12日、開拓団にも関東軍がいる新京方面に脱出するよう避難命令が出された。脱出の途上、開拓団はソ連軍機の空襲や現地の中国人暴民の襲撃に遭いながら逃避行を続けたが、8月25日に竜江省洮南県西方20kmの地点でソ連軍の自動車化歩兵部隊と遭遇した。ソ連軍は避難民へ向けてトラックで突進しながら機銃掃射を行い、多数の避難民が射殺された。その後、トラックから降りてきたソ連兵が避難民に対して、生死を問わず銃剣などで止めを刺していった。児童ですら小銃の台尻で殴り殺されたという。避難民の中には絶望して自決した者も相当数にのぼり、生存者は20人ほどとされている。