今泉貞雄
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福島県[3]安積郡桑野村[4](現郡山市[2])で、農家の7人兄弟の末子として生まれた[4]。小学校卒業後、進学を希望していたが家庭の経済状況が許さず、上京して丁稚奉公を行う[4]。奉公先の好意で夜間学校に通学し[4]、種々の職業を経ながら[4]1929年(昭和4年)日本大学専門部工科機械科を卒業した[2][3][注釈 1]。
三共に入社しオートバイ部門で勤務[4]。その後、中島飛行機荻窪工場社員、新田 (株) 昭和内燃機製作所工場長を歴任[3]。中野友禮の資金援助を受けて1938年(昭和13年)今泉精機を東京葛飾に設立し、白河分工場も設けたが終戦に伴い閉鎖して帰郷した[4]。
戦後、郡山に工作機械工場、精密機械工場を建設し[4]、化粧品製造販売も行った[4]。今泉産業社長、郡山商工会議所会頭などに在任[3][4]。その他、福岡県南スポーツ連盟会長、同野球連盟会長、福島県体育協会副会長なども務めた[3]。
また、今泉牧場を経営し競走馬の生産を行い[4]、日本中央競馬会福島県馬主協会長[4]、日本軽種馬協会副会長などに在任した[3][4]。
1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙で福島県第1区から民主自由党所属で出馬して当選し[4][5]、衆議院議員に1期在任した[2][3][4]。