加藤宗平 From Wikipedia, the free encyclopedia 加藤宗平 加藤 宗平(かとう そうへい、1897年5月2日[1] - 1957年12月15日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。福島県梁川町長。 福島県伊達郡梁川町(現在の伊達市)出身。1920年日本大学専門部政治科卒[2]。横浜市主事、梁川町長、福島県会議員などを歴任する[2]。1942年の翼賛選挙では福島1区(当時)から非推薦で立候補して初当選した。続く1946年の第22回衆議院議員総選挙では日本自由党公認で立候補し再選したが、公職追放となった。追放解除後の1952年の第25回衆議院議員総選挙では自由党公認で立候補して当選、第5次吉田内閣で通産政務次官に就任した。1955年の第27回衆議院議員総選挙で落選。1957年12月15日死去、60歳。死没日をもって勲三等瑞宝章追贈、正五位に叙される[3]。 脚注 ↑ 衆議院『第八十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1942年、19頁。 1 2 3 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』161頁。 ↑ 『官報』第9299号383頁 昭和32年12月19日号 参考文献 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。 表話編歴 旧福島1区選出衆議院議員(1947年 - 1993年) 定数4 第23回 八百板正 大内一郎 原孝吉 榊原千代 第24回 大内一郎 八百板正 松本善寿 今泉貞雄 第25回 佐藤善一郎 加藤宗平 八百板正 粟山博 第26回 八百板正 粟山博 加藤宗平 佐藤善一郎 第27回 八百板正 鈴木周次郎↓ 粟山博 田中利勝 小松信太郎↑ 第28回 粟山博 八百板正 小松信太郎 天野光晴 第29回 八百板正 亀岡高夫 吉村吉雄 伊藤幟 第30回 粟山ひで 亀岡高夫 天野光晴 吉村吉雄 第31回 八百板正 粟山ひで 亀岡高夫 天野光晴 第32回 亀岡高夫 天野光晴 粟山ひで 八百板正 第33回 亀岡高夫 粟山ひで 天野光晴 八百板正 第34回 亀岡高夫 八百板正 天野光晴 安田純治 第35回 亀岡高夫 粟山明 天野光晴 安田純治 第36回 亀岡高夫 石原健太郎 粟山明 天野光晴 第37回 亀岡高夫 天野光晴 佐藤徳雄 石原健太郎 第38回 亀岡高夫 天野光晴 佐藤徳雄 粟山明 第39回 増子輝彦 佐藤恒晴 佐藤徳雄 金子徳之介 第40回 金子徳之介 根本匠 増子輝彦 佐藤剛男 ↓:途中辞職、失職など、↑:補欠選挙で当選。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。表示編集 Related Articles