今牧嘉雄

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今牧嘉雄

今牧 嘉雄(いままき よしお、1897年明治30年)12月15日[1] - 1980年昭和55年)5月17日[2])は、大正から昭和期の内科医[3]、右翼活動家、政治家衆議院議員医学博士[2][3][4][5]

富山県[2][3]射水郡新湊町[5]高岡市、新湊町、新湊市を経て現射水市)で生まれる。1920年(大正9年)長崎医学専門学校(のち長崎医科大学[4]、現長崎大学)を卒業し[2][3][5]、その後、京都帝国大学医学部で研究した[3]

別府市の朝見病院長を経て、1930年(昭和5年)東京市京橋区で開業した[2][3][5]大川周明の雑誌『満蒙』に執筆し、大川の治療を行ったことなどから神武会に加盟した[5]。1936年(昭和11年)大日本青年党に加わり、その後、大日本赤誠会に改称[5]。また、日本医師会理事、日本医療団評議員、富士工業社長などを務めた[2][4]

1942年(昭和17年)4月、第21回衆議院議員総選挙翼賛政治体制協議会の推薦を受け東京府第3区から出馬して当選し[3][4][5][6]、衆議院議員に1期在任した[2]。この間、大政翼賛会東京府常務、同中央協力会議員、翼賛政治会政調幹事、同内務・外務兼務委員、同連絡委員(事務局参与)などを務めた[2][4][5]。戦後、日本進歩党に所属し[2]、その後、公職追放となった[7]

その後、社会保険協会蒲田診療所長を務めた[2][5]

斎藤実首相暗殺予備事件

脚注

参考文献

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