仙巌寺
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歴史
太古宗は、百済の時代の529年(聖王7年)に阿道が海川寺(ヘチョンサ、해천사)を建立したことをもって、仙巌寺の創建としている[1]。
875年(新羅景文王15年)に道銑国師が現在の伽藍の位置に寺を重創して、 寺名を仙巌寺に改名した。
韓国天台宗の中興の祖といわれている大覚国師義天(1055年 - 1011年)が仙巌寺の大覚庵に主席しながら、仙巌寺を重創した。
李氏朝鮮の太宗による1407年(太宗7年)の仏教弾圧の際、存続を許された88寺院の中に仙巌寺の名前はなく、廃寺になったようである。 世宗による1424年(世宗6年)の仏教弾圧の際も、存続を許された36寺院の中に仙巌寺の名前はなく、引き続き廃寺のままだったようである(朝鮮の仏教#李氏朝鮮時代の仏教弾圧)。
文禄・慶長の役のさい、鉄仏・宝塔・浮図・文殊殿・曹溪門・圊廁だけを残し、あとはすべて焼失した。その後の復旧は遅れ、1660年に敬俊・敬岑・文正によって、8年越しの重修が行われた。
1798年(純祖22年)に海鵬展翎など七殿が重創された。1823年(純祖23年)に本堂などが焼失。海鵬・訥庵・益宗らにより、翌年から重創を行った。現在の建物の大部分はこのとき建立されたものである。
韓国併合後の1911年、寺刹令施行規則(7月8日付)によって、朝鮮三十本山に指定された(1924年以降は朝鮮三十一本山)。
