伊夫伎一雄
日本の経営者
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経歴・人物
伊夫伎準一の長男として滋賀県で生まれ[3]、東京で育つ[1]。伊夫伎家は滋賀・伊夫伎神社の神官の家柄である[1]。
1943年(昭和18年)に東京帝国大学経済学部商業学科を卒業し、同年に三菱銀行に入行した[2]。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学[1][4]。1944年(昭和19年)3月、経理学校を卒業し海軍主計中尉に任官[4]。第二工作部会計係官を務め、1945年(昭和20年)3月に主計大尉に進み終戦を迎えた[4]。
戦後は三菱銀行に復帰。熱田支店長、調査部副部長、新橋支店長、大阪支店次長、調査部長を歴任[5]。
1972年(昭和47年)11月に取締役に選任。1976年(昭和51年)6月に常務、1979年(昭和54年)6月に専務、1982年(昭和57年)12月に副頭取を経て、1986年(昭和61年)6月に頭取に就任し[2]。1990年(平成2年)6月に会長に退く。1996年(平成8年)4月に東京三菱銀行相談役、2000年(平成12年)7月からは特別顧問を務めた[2]。
頭取を務めていた時期はちょうどバブル景気で他行がノンバンクや不動産関連融資に注力する中で、これらへの融資に慎重な姿勢を取り、現実な経営でバブル崩壊後も比較的に安定した財務を維持することができた[1]。1989年に邦銀では初めてニューヨーク証券取引所への上場を果たした[1]。
1988年(昭和63年)4月から1年間、全国銀行協会連合会会長を務め、三菱グループのリーダーとしても活躍したほか[1]、金融機関の週休2日制導入や小口預金の金利自由化に取り組んだ[6]。
著書
- 『世界の産業』日本経済評論社、1973年。