伊奈城
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概要
沿革
15世紀中ごろ、本多定忠・定助が伊奈城を築城[4][注釈 1]
文明年間(1469年-1487年)ころ、幕府直轄領になっていた[7]。
大永6年(1526年)ころ、今橋牧野氏の勢力下になっていた[7]。
享禄2年(1529年)松平清康が吉田城攻めの後田原城を従属。本多正忠は松平勢に参戦、清康を伊奈城に招き祝宴を開く[8][6][7]。 このときの逸話が「葵の紋」発祥ゆかりの地の由縁となる[9][10]。
天文17年(1548年)ころ、今川氏統治下本多氏が領地回復[7]。
永禄年間(1558年-1570年)大塚の岩瀬氏に攻められたが柳堤にてこれを退ける[6]。
永禄6年(1563年)今川氏に伊奈城一円の確保を命じられ本地還付と新知扶助を約束[7]。
永禄7年(1564年)徳川家康東三河に進出、この時本多忠次は家康に従属し功をなす[6]。
天正18年(1590年)徳川家康の関東移封に伴い本多氏は下総国小篠に国替えとなり廃城。
歴代城主
廃城後
文化10年(1813年)膳所藩主本多家家臣黒田忠明が花ヶ池に建碑[11]。
大正2年(1913年)元膳所藩藩士平田好の篤志に基づき伊奈城趾土塁上に建碑[12]。
平成6年(1994年) 発掘調査実施 堀跡・逆茂木跡、礎石等の遺構などが確認された[5]。
平成9年(1997年) 小坂井町(現豊川市)史跡に指定。公園として整備。
縄張り
遺構
土塁
郭跡と主郭北側の土塁が残る。
1997年(平成9年)3月3日に「花ヶ池」とともに町の史跡に指定された[2]。
同年、公園整備に伴い堀・逆茂木等発掘調査で発見された遺構を模したものが配されている。
土塁上に建つ石碑は大正2年(1913年)(忠俊三百五十年忌)に元膳所藩藩士平田好の篤志に基づき建てたもの。前面は元膳所藩藩主本多康穣書[12]。
花ヶ池
「葵の紋」発祥にまつわる城域の池。「葵ヶ池」とも呼ばれた。
平成9年(1997年)に「花ヶ池公園」(同町丸ノ内)として整備された。
仲仙寺 山門
伊奈城廃城後、城門が伊奈本多氏の菩提寺 東漸寺に移築、後年仲仙寺(同市御津町金野)に移されたと伝わる[6]。
