伊奈龍哉
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プロ入り前
洲本市立由良小学校2年生時、地元の「由良少年野球クラブ」で野球を始める[1]。当時は遊撃手だった。また陸上競技もしており、6年生だった2000年には洲本市陸上競技大会の100メートル走で優勝している[2]。
洲本市立由良中学校入学後は1年生のころのみ「神戸少年シニア」に所属したが、試合出場はなく、後に野球活動は休止し[1]、同中の陸上部に所属し、砲丸投げでは1年時の2001年に開催された第32回ジュニアオリンピック陸上競技大会で17メートル48の大会新記録を残して優勝[3]、3年時の第34回大会でも15メートル70で優勝を果たした[4]。
その後、甲子園でプレーしたいという夢を叶えるため、知人を通じて近江高等学校に進学し[1]、打者として頭角を現す[5]。1年生だった2004年秋からベンチ入りし[6]、2年生になった2005年春から四番打者を任せられる。その長打力から「湖国のゴジラ」と評された[5]。2005年6月時点で高校通算31本塁打を記録[1]、夏の滋賀大会では2本塁打を放ち、チームの甲子園出場に貢献した。推定飛距離150 mの本塁打も放っている。甲子園では四番打者として出場したが、このころから右肩痛に悩まされ、2006年1月に痛みの原因となっていた遊離軟骨の除去と筋肉の縫合手術を受けた[5]。しかし完治せず、同年の夏の滋賀大会は1回戦で敗退、その翌日には激しい右肩痛に襲われていた[5]。
高校通算で74本塁打を記録していたが、このように故障を抱えていたことから、同年のプロ野球高校生ドラフト会議前に積極的にアプローチをかける球団はなく、ドラフト会議で指名した場合に備えて調査書の提出を求めてきた球団は北海道日本ハムファイターズのみだった[5]。しかしドラフト会議当日の9月25日、福岡ソフトバンクホークスから3巡目で指名を受け[7]、同年10月1日に仮契約した[8]。契約金は5000万円、年俸は600万円(いずれも推定)[9]。入団時は当時のソフトバンク監督であった王貞治が記録したNPB通算868本塁打の世界記録を塗り替えたいと語っていた[10]。
プロ入り後
入団後の2007年4月16日に右肩上方および前方関節唇修復の手術を行ったが[11]、手術後も戦力として見込めないと判断され、同年10月27日には戦力外通告を受ける[12]。高卒選手がプロ入り1年目で戦力外通告を受けたことは異例である[12]。11月30日付で自由契約選手としてNPBコミッショナーから公示された[13]。同年12月25日、四国・九州アイランドリーグの徳島インディゴソックスに入団することが発表された[14]。
2008年はシーズン開幕後、指名打者を中心に5試合に出場したが、右肩の回復が思わしくなく、徳島は5月31日付で選手契約を解除、伊奈は練習生としてチームに残り右肩の療養を行うことになった[15]。出場5試合での打撃成績は、14打数2安打、打率.143、2打点、1盗塁[16]。のちに退団する。