伊東二郎丸
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東京府で海軍中将・伊東祐麿の二男として生まれた[1][3][4]。父の死去に伴い、1906年(明治39年)3月14日、子爵を襲爵した[1][3][5]。
学習院高等学科を経て、1910年(明治43年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業[2][3][6]。1912年、日本製鋼所に入社し室蘭に転居[3][4]。その後、イギリスに2年間留学し、帰国後、高砂商工銀行取締役に就任[3][4]。電気化学工業取締役なども務めた[3]。
水野直子爵の導きで政界を志し、東京帝大在学中に尚友会に入会[4]。1923年(大正12年)8月11日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[7][8]、研究会に所属[2]。水野直の推薦で1925年(大正14年)に加藤高明内閣の海軍参与官に就任[2][3][4]。以後、第1次若槻内閣・海軍参与官、濱口内閣・陸軍政務次官、鈴木貫太郎内閣・外務政務次官、社会保険調査会委員、地方分与税委員会委員、外務省委員、学習院評議会会員などを歴任した[2][3]。貴族院議員に四期在任して1946年(昭和21年)5月9日に辞職した[2][9]。同年公職追放となった[10]。
著作
- 『貴族院改革の諸問題』亜細亜評論社、1938年。
