熊本県下益城郡豊野町(現在の宇城市)出身[1]。九州学院高等学校を経て、八幡大学(現:九州国際大学)法経学部に進学し、卒業後[2]社会人野球の門司鉄道管理局のチームでプレーした[1]。
門司鉄道管理局でコーチ、監督を務め、JR九州初代監督も務めた[1]。
1992年から2022年までに九州国際大学硬式野球部の監督を務め、23回のリーグ優勝を果たした[1]。
2001年の第30回日米大学野球選手権の日本代表のコーチも務めた[3]。
2023年10月10日、心筋梗塞のため北九州市内の病院で死去、72歳没[4]。