古物神社に奉仕する神職の家に生まれる。亀井南冥に儒学を、青柳種信(本居宣長の高弟)に国学を学び、35歳を過ぎて京周辺に遊学、伊勢参宮を果たす。松阪を訪れて本居大平の門人となり、伴信友や足代弘訓と共に学び、香川景樹ら当時一流の文人と交際した。自宅に私塾を開き、国学・和歌を教え、桜井文庫の創設に関与した。天保12年(1841年)、68歳の時に『太宰管内志』全82巻を完成し、福岡藩主・黒田長溥に献上する。なお、長男の南華は画家として、次女のゆみは文学者として、孫の直江は国学者としてそれぞれ活躍した。
大正4年(1915年)、従五位を追贈された[1]。