滋賀県に生まれる。1934年に彦根高等商業学校(現在の滋賀大学経済学部)を卒業し、同年4月に大丸へ入社した[1][2]。
入社後は天津支店貿易部や京都店で勤務し、戦後には京都店副支配人を務めた。その後、京都店次長兼総務部長、宣伝部長などを歴任し、1961年には香港大丸百貨有限公司総経理に就任するなど、国内外で経営実務に携わった[1][2][3]。
1965年4月、大丸取締役に就任した。
1967年3月まで香港大丸の店長を務め、現地市場に根ざした「現地主義」の経営を徹した。日本人観光客向けのみやげ品をあえて置かず、香港の現地需要に即した店づくりを進めたことが特徴である。この香港大丸の運営ぶりがタイ王室関係者の目に留まり、大丸のタイ進出のきっかけの1つとなった[4]。
1967年3月より大阪支店長代理を務め、1970年3月には京都店長から大阪店長に転じた。1971年には常務取締役となり、商品本部長、さらに大阪店長兼営業本部長として大丸の営業部門を担った。1974年4月に専務取締役へ昇進した[1][5][6][7]。
1977年2月、博多大丸へ出向した。同年3月に博多大丸取締役社長に就任し、同年には大丸本体でも取締役副社長となった。以後しばらく、大丸副社長と博多大丸社長を兼ねる立場でグループ経営の中枢を担った[5][8]。
1979年には大丸副社長を退き取締役となり、博多大丸でも社長を退任して取締役となった。1980年は大丸・博多大丸の各取締役を務めていたが、1981年に博多大丸取締役を退任し、同年に大丸取締役も退任した[2][5]。