伊藤貞司
日本の作曲家、演奏家
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略歴
伊藤は東京の芸能一家に生まれた[2]。母親であるテイコ・オノ(テイコ・イトウ)はダンサーであり、彼の父親である伊藤裕司(伊藤為吉の四男)はデザイナー兼作曲家であった[3]。6歳の時に家族でアメリカに移住することとなった。ニューヨークにあるアメリカ自然史博物館における母親のダンス・パフォーマンスに伊藤は同行し、自身も日本と韓国のダンスをパフォーマンスした。15歳の時には家から逃げ出したことがあった[4]。
作曲は17歳で始めた。この間、1955年にマヤ・デレンと出会い、彼女と一緒にハイチへと向かった。そこで伊藤はドラム・マスターのもとでドラマーとして勉強することとなる。伊藤はまた、デレンの求めに応じて、デレンの映画『午後の網目 (Meshes of the Afternoon)』のスコアを作曲した[2]。1960年、伊藤はデレンと結婚し、1961年に彼女が亡くなるまでその関係は続いた[2]。
1960年から1961年にかけてのオフ・ブロードウェイ・シーズンに、彼のスコアがオビー賞を受賞した。その受賞作品には、ブレヒトの『In the Jungle of Cities』、『ユビュ王』、そして『Three Modern Japanese Plays』が含まれていた。1963年には『カッコーの巣の上で』のブロードウェイ・ミュージカル化のためのスコアを作曲している。伊藤は1971年、ニューヨーク・シティ・バレエ団によって行われたバレエ作品『Watermill』を書いた[5]。1972年に『The Japanese Garden : An Approach to Nature』という本を執筆した。その本は日本庭園の基本的な要素について詳しく書かれている[4]。伊藤はまた、ジーン・アードマンの「開眼の劇場 (Theater of the Open Eye)」のために作曲と演奏を行った[5]。
伊藤と彼の4人目の妻、シェレルは、ハイチにいる間に彼女が撮影した1947年から1951年までのデレンの映像を編集した。これはドキュメンタリー映画『聖なる騎士たち:ハイチの生きた神々 (Divine Horsemen: The Living Gods of Haiti)』として仕上がった[6][7]。
ハイチ滞在中の1982年、伊藤は心臓発作によって亡くなった[5]。
ディスコグラフィ
アルバム
- Meshes: Music For Films and Theater(1997年、O.O. Discs)
- King Ubu(1998年、ツァディク)
- Music For Maya: Early Film Music Of Teiji Ito(2007年、ツァディク)
- Tenno(2007年、ツァディク)
- The Shamanic Principles(2008年、ツァディク)
- Watermill(2008年、ツァディク)
参加アルバム
- ニューヨーク・ジャズ・カルテット: New York Jazz Quartet Goes Native(1957年)
- ハービー・マン: Gone Native(1961年)
- ジーン・アードマン: The Coach With The Six Insides (Original Cast Album)(1966年) ※舞台『六人を乗せた馬車』サントラ
- 須磨の嵐: 『須磨の嵐』 - Suma No Arashi(1970年)
- 黛敏郎&須磨の嵐: 『序破急』 - Johakyu(1970年)
- ミッキーカーチス&サムライ: 『河童』 - Kappa(1971年)
- 赤い鳥: 『WHAT A BEAUTIFUL WORLD』 - What A Beautiful World(1971年)
- Yusen Kuzuhara、Teiji Itoh: Le Koto De Yusen Kuzuhara Et Le Shakuhachi De Teiji Itoh(1978年)
- ガイ・クルセヴェク、フィリップ・ジョンストン: Tales From The Cryptic(2003年)