伊達宗贇
日本の江戸時代の大名
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伊達 宗贇(だて むねよし)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。伊予国宇和島藩3代藩主。官位は従四位下・遠江守、紀伊守、侍従。
| 時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
|---|---|
| 生誕 | 寛文5年1月15日(1665年3月1日)[1] |
| 死没 | 宝永8年2月18日(1711年4月5日)[1] |
| 改名 | 石川宗昭→基弘→伊達宗贇 |
| 戒名 | 大玄院殿天山紹光大居士 |
| 墓所 | 愛媛県宇和島市の等覚寺 |
| 官位 | 従四位下遠江守、紀伊守、侍従 |
| 幕府 | 江戸幕府 |
| 主君 | 徳川綱吉→家宣 |
| 藩 | 伊予宇和島藩主 |
| 氏族 | 伊達氏→角田石川氏→宇和島伊達氏 |
| 父母 |
父∶伊達綱宗 母∶三沢初子 養父:石川宗弘、伊達宗利 |
| 兄弟 |
綱村、村和、宗贇、夏姫、村直、類姫、 三姫、千姫、智恵姫、綺羅姫、那礼姫、 菊之允、牟須姫、吉十郎、由布姫、多家姫 |
| 妻 |
伊達宗利次女三保姫 中里氏、高橋氏、鴇田氏、佐藤氏、宮部氏 |
| 子 | 宗相、曽智、岩次郎、村年、田村村顕、初、民、百助、桑折宗恒、清、長、久米、悦、幾久 |
生涯
陸奥国仙台藩3代藩主・伊達綱宗の三男[2][1]。母は三沢初子[1]。正室は伊達宗利(宇和島藩2代藩主)の次女・三保姫[1]。仙台藩4代藩主・伊達綱村の次々弟にあたる[2]。
寛文6年(1666年)に陸奥仙台藩の一門衆筆頭・角田石川家の石川宗弘の養子となり、延宝7年(1679年)に元服する。石川家時代は仙台藩主である父・綱宗、兄・綱基(綱村)よりそれぞれ偏諱の授与を受けて石川宗昭(むねあき)、次いで石川基弘(もとひろ)と名乗った。しかし、貞享元年(1684年)3月13日、伊予国宇和島藩主・宗利の次女と結婚してその婿養子となり、伊達宗贇に改名した。元禄6年(1693年)11月14日、宗利の隠居を受けてその跡を継いだ。ただし、仙台藩主家からの直接の養子でなく陪臣の家を経ていることから、仙台藩が宇和島藩を末家扱いとする一因となった。
藩政においては元禄9年(1696年)7月4日、所領が7万石の実収入のところを高直しで10万石と過大申告する。これは、初代藩主・秀宗が伊予吉田藩に分与した3万石分を補い、宇和島藩の10万石としての体面を保つためであった。そのために町人新田開発や藩営の新田開発を奨励するなどしたが、ただでさえ苦しかった藩財政がますます苦しくなり、倹約令や商人からの借金、家臣団の大減封を行なう有様であった。宝永4年(1707年)には大地震で宇和島城が倒壊する。
