伊達斉村

江戸時代中期の大名。陸奥仙台藩8代藩主。伊達氏24代。従四位下侍従、美作守、陸奥守、左近衛権少将。伊達重村の次男 From Wikipedia, the free encyclopedia

伊達 斉村(だて なりむら)は、江戸時代後期の大名仙台藩8代藩主伊達氏24代当主官位従四位下陸奥守左近衛権少将

時代 江戸時代後期
死没 寛政8年7月27日1796年8月29日
公式では寛政8年8月12日1796年9月13日
改名 式三郎(幼名)、祝村、斉村
概要 凡例伊達斉村, 時代 ...
 
伊達斉村
伊達斉村像(仙台市博物館蔵)
時代 江戸時代後期
生誕 安永3年12月5日1775年1月6日
死没 寛政8年7月27日1796年8月29日
公式では寛政8年8月12日1796年9月13日
改名 式三郎(幼名)、祝村、斉村
別名 通称:式三郎→総次郎、号:桂山
戒名 永慶院殿桂山蘭榮大居士
官位 従四位下侍従美作守陸奥守左近衛権少将
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
陸奥仙台藩
氏族 伊達氏
父母 伊達重村喜多山美哲(藤蔵)の娘・正操院
兄弟 総三郎斉村仙三郎順姫満姫生姫祥姫窕姫
正室信證院
側室信光院
周宗斉宗
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経歴

安永3年12月5日1775年1月6日)、7代主・伊達重村の次男として誕生。母は喜多山美哲(藤蔵)の娘、正操院。天明3年(1783年)に嗣子となり(兄は早世していたものと思われる)、祝村(ときむら)と名乗る。

父の正室観心院の養いとなる。守役は古田良智(舎人)、付役は平賀義雅(蔵人)が勤める。

天明7年(1787年)に元服して11代将軍徳川家斉偏諱を受けて斉村と改名し、従四位下、侍従、美作守となる。寛政2年(1790年)、父・重村の隠居を受けて家督を相続し、陸奥守、左近衛少将となる。寛政5年(1793年)に関白鷹司輔平の娘、興姫(後に誠子と改名、光格天皇の従姉)と結婚する。

寛政8年(1796年)には伊達家に不幸が連続する。同年3月2日に正室の誠子を母として長男・周宗が出生したが、産後の肥立ちが悪く、同年4月16日に誠子が死去する。同年4月21日江戸で父が死去する。斉村も帰国の途中に白河駅で病にかかり、帰国後に仙台城にて同年7月27日(1796年8月29日)に病没した。享年23。

死亡当時、長男の周宗は乳児、次男の斉宗は出生前といった状況に加え、正式に後継者も決めていなかった。故に斉村の死去は幕府はおろか藩内にも機密扱いとした上で、同年8月1日に斉村の病気回復が遅れている旨が幕府に報告され、藩内には同年8月12日1796年9月13日)に死去したと公表の上で3日後、幕府に斉村の病気による長男・周宗の末期養子としての相続願いが出され、認可された。法諡は永慶院殿桂山蘭榮大居士。

人物

武芸よりも詩文を好む教養人であった。寛政8年(1796年)、岩松壽隆(喜惣治)が深山幽谷の中に埋もれている作並の湯(現在の作並温泉・岩松旅館)を開き、世の多くの人々を助けたいと願い出てきたため、それを許可したとの逸話がある。

系譜

  • 父:伊達重村(1742-1796)
  • 母:郷子 - 於定の方、正操院、喜多山美啓の娘
  • 兄弟姉妹
  • 正室:信證院(1775?-1796) - 興姫、誠子、鷹司輔平の娘
  • 側室:信光院(1779-1800) - 信子、阿信、喜多山美昭(藤蔵)の娘

偏諱を受けた人物

斉村時代

在任期間が1790年から1796年(6年間)と大変短いため、歴代藩主に比べると少ない。

参考文献

  • 『三百藩藩主人名事典1』新人物往来社
  • 仙台市史編さん委員会『仙台市史・通史5・近世3』2004年。

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